吉岡先生の話で国際協力に興味を持ったのも、もともと「海外で働きたい」という思いが胸の中にあったからからだろう。ただ、研修医のときに「海外」で具体的にイメージしていたのは、医療先進国のアメリカ。最近では海外留学をする医師は珍しくないが、大村さんが研修医だった20年ほど前は、アメリカで働く日本人医師は憧れの存在だった。

“日本一の名医”を育てた「横を見ずして前を見ろ」という言葉まだ「自分が何をしたいのか」分かっていなかった医学生時代(真ん中)

 吉岡先生の講演がきっかけで海外協力に興味を持った大村さんは、吉岡先生に宛てて「ミャンマーで働きたい」と手紙を送った。「ぜひ」と返事が来たものの、当時のミャンマーは社会情勢が不安定だったこともあり、すぐには受け入れのOKが出なかった。

「実は、もしミャンマーに行けなかったときのために、もう一つのキャリアプランを準備していたんです」

 それは、横須賀にある海軍病院での勤務だった。アメリカで働くことを目指す医師にとって、海軍病院での勤務経験はかなり有利に働く。日本での実習が、アメリカでの実習単位としてカウントされることに加えて、アメリカの医師からの推薦状がもらいやすいからだ。もともと「海外で働きたい」と思っていた大村さんにとっては、まさに理想的な環境。

 海軍病院の採用が決まるのと、ジャパンハートから「ミャンマーに来てもいい」と連絡が来たのは、ほぼ同じタイミングだった。海軍病院に行くか、ミャンマーに行くか――。大村さんは、かなり悩んだ。

「キラキラしたダイヤの原石と、何か分からないような真っ黒い石。どっちを選ぶ?と言われているようなものですよね。それが僕のキャリアの分かれ目だったと思います」