情報が次から次へと溢れてくる時代。だからこそ、普遍的メッセージが紡がれた「定番書」の価値は増しているのではないだろうか。そこで、本連載「定番読書」では、刊行から年月が経っても今なお売れ続け、ロングセラーとして読み継がれている書籍について、著者へのインタビューとともにご紹介していきたい。
第3回は2019年に刊行、正義とは何か、というテーマを小説仕立てで解説、大きな話題となり、今もロングセラーを続けている飲茶氏の『正義の教室 善く生きるための哲学入門』。4話に分けてお届けする。(取材・文/上阪徹)

正義の教室 善く生きるための哲学入門(飲茶氏インタビュー#02)Photo: Adobe Stock

すんなりと哲学や正義が理解できるのは、なぜか

 哲学について興味を持ち、哲学の本にトライをしてみたことがある、という人は少なくないだろう。しかし、その難解さ、わかりにくさから、途中で挫折をしてしまうケースも多い。

 結果的に、有名な哲学者の名前や考え方などは断片的に耳にしたことはあるが、体系的に哲学全体を捉えられなかった、という思いを持つ人もいるのではないだろうか。

『正義の教室』が今もロングセラーを続けているのは、そうした人にとっても、すんなり哲学や正義が理解できることが大きいかもしれない。

 ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、フーコーなど有名な哲学者の言葉も随所に出てくるが、本書はその立ち位置などもわかりやすく理解できる。もちろんそれは、登場人物が高校生であり、彼らにわかりやすく教える倫理学の先生の存在もあるが、それだけではない。著者の飲茶氏の力によるところが大きい。

 もともと飲茶氏は、哲学や科学などのハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ、人気となった人物なのだ。

「2000年代にサラリーマンをしていたんですが、当時は長時間残業が当たり前の時代でとても忙しく、仕事だけで人生が終わるような気持ちになっていました。ずっと仕事、仕事だと、だんだん虚しくなっていって。そうすると、やっぱり普遍的なものに触れたくなるじゃないですか」

 それが、哲学や科学だった。

「哲学や科学って、どんなに時間が経ってもなくならないものなので、それを少しずつでも勉強したら、自分の生活を変えられるんじゃないかなと思って」

飲茶(やむちゃ)
東北大学大学院修了。会社経営者。
哲学や科学などハードルの高いジャンルの知識を、楽しくわかりやすく解説したブログを立ち上げ人気となる。日常生活に哲学的思考を取り入れてほしいという思いから、哲学サロン「この哲学がスゴい! 」を主宰。著書に『史上最強の哲学入門』『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』『14歳からの哲学入門ーー「今」を生きるためのテキスト』(すべて河出文庫)などがある。

文系ではなく、理系の考えで、哲学を捉えたからこそ

 そして、自ら学んだものをブログにアップするようになった。

「第一の目的は普遍的なものに触れたい、という気持ちだったんですが、『こんなに面白いものがあるんですよ』というものを少しずつブログにアップしていけば、何かのコンテンツになるのかな、と思って始めてみたんです」

 ところが、ここで大きな反響を得る。その理由の一つは、飲茶氏が理系の考え方を持っていたことも大きかった。

「もともと哲学は好きで、いろんな本は読んでいたんですが、出身的には理系なんです。理系って、理屈がすごく大好きで、たとえば、デカルトの『我思う、ゆえに我あり』って、ものすごく理屈っぽいんですよね。プラトンのイデア論も、ものすごく理屈っぽい。だから、理系からすると、けっこう刺さる考え方なんです」

 理系だったからこそ、哲学にはまることになったというのだ。

「例えば三角形の方程式など、数学の公式があります。それはたしかに成り立っているんですが、勝手に人間がそういう公式を作り出しただけなのか。それとも、最初から宇宙にそういう公式が埋め込まれていたのか。後者の場合、まさにプラトンのイデア論みたいな考え方になるのですが、理系的にはどっちなんだろう、となるわけです」

 ニワトリが先か、卵が先か。こうした思考実験的な問題を、理系は好むのだという。

「これが僕の入り口なんです。だから、幸福になるためにはどういう考え方をすればいいんだろうか、というマインドからは入っていないんですよね。だからこそ、おそらく他の哲学作家さんとは完全に違う切り口で、『こういうふうに考えると、哲学の考え方って、すごく面白いですよ』という文脈を作り出せたんじゃないかと思います」

自分が正しいと思うことから、目をそらすべきではない

『正義の教室』に、哲学書ならではのとっつきにくさ、ややこしさがないのは、著者の飲茶氏が独自の文脈で哲学を語っているからだ。

「文系の多くの人が正義のことを書こうとすると、こういう状況ではどうするのが正義なのか、という話をおそらく延々と考え、それに対してツッコミを入れていくんだと思うんです。そして、そのツッコミがものすごく長くて、30ページとか40ページとかになって、『結局、今は何の話をしているんだろう』などということになりかねない」

 しかし、飲茶氏は理系の考え方で哲学を見たのである。

「だから、まず全体的にどんな考え方の種類があって、という体系を明らかにしたいんですよね。それをやってから、『こういう思考実験をこのケースに当てはめると、こういうような考え方が導き出されます』みたいな、そういう整理の仕方をするんです。これがおそらく、わかりやすいと言われているんだと思っています」

 こうして平等の正義「功利主義」、平等の正義「功利主義」、宗教の正義「直観主義」が、高校を舞台にドラマチックに解説されていくわけだが、平易であるがゆえに共感もしやすくなる。読者は、正義の考え方3つのうち、どれに共感するのか、自ら突きつけられることになるのだ。そして、選んだ「自分の正義」を揺るがされる。

「今の世の中は相対主義で、『すべて人それぞれだよね』とするのが最もスマートで、人と争うこともない。でも、やっぱり何かを正しいと思っていないと、人は何かを考えることもできないし、しゃべることもできない。疑うことすらできないんですよ」

 だから、3つの考え方をはっきりと提示する意味があると語る。

「正しいかどうかは別にして、分類があれば、みんな正しさについて議論することができるし、それぞれの考え方があることでお互いを尊重できる。意見が合わない人同士でも話し合える。僕が言いたいのは、みんな正しいと思っていることがあって、だからこそしゃべったり議論したりしている。そこから目をそらすべきではないよ、ということなんです」
(次回に続く)

(本記事は、『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の著者・飲茶氏にインタビューしてまとめた書き下ろし記事です)

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)、『子どもが面白がる学校を創る』(日経BP)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。

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