漫画『数学ゴールデン』の人気の秘密の1つは、その多彩なキャラクターです。スポーツでも音楽でもなく、数学というフィールドで個性的な天才たちが登場し、それに立ち向かう努力家(主人公)の奮闘が魅力的に描かれています。では、本当の数学の天才とは、どのような人なのでしょうか? 著者の藏丸竜彦氏と、『とてつもない数学』など多数の著書をもつ永野数学塾の永野裕之氏が語り合います。(構成:田中裕子)

「役に立つ」は「楽しい」には勝てない

永野裕之(以下、永野) 『数学ゴールデン』は数学好きな人はもちろんのこと、苦手意識を持っている人にも楽しく読んでもらえる作品だと思います。藏丸さんは数学になじみのない友人漫画家も多いとのことですが、どのようにアプローチすれば「嫌い」が「好き」になると思われますか?

藏丸竜彦(以下、藏丸) 本人の気持ち次第というのが前提なので押しつけることはないんですが……僕、「どうすれば数学嫌いが直るか」を考えたときに、「嫌いな食べ物をどうやったら口にするか」がヒントになるかなと思って。

永野 ほう! おもしろいですね。

藏丸 ひとつは、お腹が空いてるとき。超空腹で、しかもそれしか食べ物がなかったら、仕方なくでも口にしますよね。もうひとつが、おいしそうに食べてる人がいるとき。友だちがその食材を幸せそうに食べてたら、「え、そんなにおいしいの?」って興味を持つし、食べてみようと思うじゃないですか。

 数学も同じで、必要に迫られて勉強するのが前者だとしたら、後者の経験ができると理想的だなと思うんです。「解きたい」って夢中になって数学に向き合ってる人たちを見たら、「おもしろそう」ってなるんじゃないかなと。いまはYoutubeにもそういう数学好きな人がたくさんいるので、ぜひ見てみてほしいですね。

「数学は役に立つかどうか」といった議論もよく見かけますが、僕は、「役に立つ」は「楽しい」には勝てないと思うんです。

永野 おっしゃるとおり。数学には感動がある。だから味わってほしい、に尽きますよね。

藏丸 たとえば式の仕組みひとつ取っても、よく考えるとめちゃめちゃおもしろいんですよ。「全部の数を足して割ると平均が出る」ってみんなが知っている式でも、そのプロセスを追いかけて理解するとシンプルに感動できる。その「すごさ」に気づけると、数学は俄然楽しくなります。

永野 『数学ゴールデン』の登場人物たちも、まさにそうですよね。じつは僕もそれは心がけていて、生徒からも「楽しそう」ってよく言われます。覚えた公式や解法を吐き出すだけの作業を見せるんじゃなくて、「こういう発想もあるな」「おっ、ここに補助線ひけるじゃん!」ってライブ感を出すと、「あれ、楽しいのかな……?」って思ってもらえる。まさに、おっしゃるような工夫が大切だと日々痛感しています。

藏丸 永野さんの授業は、楽しそうです(笑)。

永野 もちろん統計を学べばマーケティングなどにも活用できますし、「役に立つ」とは言えるでしょう。ただ、それを目的に数学を勉強すると、すぐに飽きてしまうと思いますよ。英語と違って、勉強したからといってすぐに「使える」と実感できる分野は多くないですから。でも、まさに『数学ゴールデン』にも描かれていましたが、「数学的に考える」ことで世界が広がるんですよね。

『数学ゴールデン』第4巻より、星空『数学ゴールデン』(白泉社)第4巻より

「バイアスブレイク」できたときの楽しさ

永野 このまま『数学ゴールデン』に話を戻しますが、僕、「バイアスブレイク」の表現もツボでした。自分の発想にがんじがらめになってしまったら、どこかで思い込みを打破しなきゃいけない。問題を解くうえで欠かせないプロセスで、これができるとめちゃくちゃ楽しい。

『数学ゴールデン』第2巻、バイアスブレイク『数学ゴールデン』(白泉社)第2巻より

藏丸 その思い込みを外すと、途端に問題が解けるようになるんですよね。数学に限った話ではなく、はじめに思いついたアイデアにこだわってしまって身動きが取れなくなることってあるんです。うまくいかないときは思い切って捨てることが大切だというの、数学を通して身につけられる考え方かもしれません。

永野 損切り的な発想ですね。投じてきたものにこだわらず、一度引っこめる。勇気がいるけれど、とても大切です。だから、そもそも数学がよくできる人っていきなり解きはじめないんですよ。自分のアイデアに飛びつかない。問題を眺めて、青写真を描いて、「こういう発想だとこういう計算量になって、こんな感じに着地しそうだな」とあたりをつけてから手を動かす。数学が苦手な子ほど、「よーいドン」の瞬間、「わー!」って問題を解きはじめます。

 はじめに思いつく方法って、たいてい「すばらしいアイデア」じゃないんです。もちろん直感が正しいこともあるけれど、それも一度は青写真におろしてから解かないと。

藏丸 僕も子どもたちを教えていたので、すごくよくわかります。

数学の天才たちが“ひらめき”よりも大切にしているもの藏丸竜彦(くらまる・たつひこ)
1986年、鹿児島県生まれ。九州大学理学部数学科卒。漫画家を目指しながら、鹿児島にて中高生向けの塾や私立高校の数学講師として3年間勤務した後、上京。2019年9月から『数学ゴールデン』を青年漫画雑誌「ヤングアニマルZERO」(白泉社)で連載開始。数学の面白さを伝えるべく試行錯誤中である。【Twitter】@kuramaru_desu

「天才」になるために必要な素質とは?

永野 「思い込みを外す」にも通じますが、天才的に数学ができる人の特徴は「素直であること」だと思います。人が言ったことや教えてもらったことに対して、内心「そうかな?」と思っても、とりあえず吸収してやってみる人、ですね。天才は、その吸収のスピードが人並み外れています。

 一方でなかなか数学が伸びない人は、総じて我が強い。やる前から拒絶してしまうんです。「やってみます」の繰り返しが、人に「天才」と呼ばれる成果をもたらすんだと思います。

藏丸 へええ、数学の天才というと発想やひらめきに長けている人のイメージですが、「吸収」ですか! いわば受け身な要素ですね。意外です。

永野 ひとりでできることなんて、たかが知れていますからね。人や本から吸収したほうが効率がいいに決まっているんです。天才モーツァルトだって、お父さんや先に活躍していたハイドンからものすごい勢いで学び、吸収しました。数学者でも、猛スピードで周りから吸収する素直な人が結果を出していますね。

 あと、ひとつのことをコツコツ突き詰められるのも天才の素養だと思います。イチローも、「小さいことを積み上げることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」と言っていたでしょう。僕らが上澄みの結果だけ見て「天才!」と片付けてしまう人は、ずっと積み上げつづけている人なんです。考えている時間が圧倒的だから、結果が出ただけ。「フェルマーの最終定理」も、たくさんの数学者が350年間あきらめずに積み上げたからこそ完成したわけですしね。

『数学ゴールデン』のヒロイン・七瀬の好きな「数学の神様」シュリニヴァーサ・ラマヌジャンも、本に載っている数千もの数学の定義をひたすら証明した、というエピソードが残っています。そういう努力や積み重ね、あとは学びへの素直さがあって、さらに夢を見る力が強い人が「天才」や「神様」になれるんじゃないでしょうか。

藏丸 『数学ゴールデン』を監修してくださってる近藤宏樹先生も数学オリンピック日本代表に3年連続で出場し、銀メダルを獲得されたすごい方なんですが……なんといえばいいのかな、いわゆる「超人」ではないというか……。決して浮世離れした人ではなく、僕たちと同じように考えたり悩んだり戦ったりしている印象があります。

『数学ゴールデン』はたしかに数学の天才たちが集う「数学オリンピック」を凡人が目指す話です。でも、この漫画を通して、数学も天才もみんなが思ってるより身近だし、遠いものじゃないんだよって伝わればうれしいですね。

永野裕之氏写真永野裕之(ながの・ひろゆき)
オンライン個別指導塾・永野数学塾(大人の数学塾)塾長
1974年生まれ。高校時代には広中平祐氏主催の「数理の翼セミナー」に東京都代表として参加。東京大学理学部地球惑星物理学科卒。同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)中退。レストラン(オーベルジュ)経営の後、ウィーン国立音大(指揮科)に留学。副指揮を務めた二期会公演モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演出:宮本亞門、指揮:パスカル・ヴェロ)は文化庁芸術祭大賞を受賞。NHK(Eテレ)「テストの花道」、ABEMA TV「ABEMA Prime」、東京FM「Blue Ocean」等多くのメディアに出演。『大人のための数学勉強法』『とてつもない数学』(ダイヤモンド社)、『ふたたびの高校数学』(すばる舎)等、これまでに上梓した著作は約30冊。

『数学ゴールデン』、最新刊ではどうなる?

永野 『数学ゴールデン』、最新巻の4巻では主人公の小野田が七瀬と、数学が苦手なダイスケ先輩と共に、団体競技である「数学甲子園」を目指しはじめました。ここからどう展開されていくのでしょうか?

藏丸 ダイスケ先輩は読者からもっとも共感を集めるキャラクターなんですが(笑)、漫画としては一度数学オリンピックから少し離れるのもポイントだと思います。これまで出てきた問題は数学オリンピックレベルの難易度で、僕も解説に苦労したりしました。でも、4巻からはもう少しみなさんに馴染みのある「因数分解」や「平方完成」といった言葉が増えていきます。

永野 それはぜひ、かつて学校数学でつまずいた方にもぜひ読んでほしいですね。……じつは僕、初登場のダイスケ先輩がフードコートでケンカをはじめたシーンを読んで、「この子、数学的センスあるな!」と思ったんです。

藏丸 ええっ!? ほんとうですか?(笑)

永野 小野田くんがヤング図形(*)の問題を出したとき、ケンカの最中なのに紙を出して「それじゃあ、こういうことか?」って確認したじゃないですか。

(*)自然数の分割を、同じ大きさの正方形の箱を縦横すきなく並べて表す図式。
『数学ゴールデン』第2巻、ヤング図解『数学ゴールデン』(白泉社)第2巻より

永野 あれ、まさに成績悪かったけど急にできるパターンの子ですよ。数学的センスのひとつに「論理勇気」があると僕は思っているんです。

藏丸 論理勇気、ですか。

永野 入り口に立ったとき、たとえゴールが見えなくても、自分の論理力とコンパスを信じて突き進む勇気のことです。その勇気がないと、ゴールが見えている道や、一度来たことがある道じゃないと怖くて前に進めない。

藏丸 たしかに。

永野 ダイスケが後者なら「わからねえ」で終わっていたでしょう。でも小野田から紙を奪って自分で考えようとした時点で、「論理勇気」がある。こいつは鍛えてあげれば伸びるぞって思いましたね。

藏丸 あははは! 教師目線で。ぜひダイスケを見守っていただければと思います。いやあ、今日はほんとうに楽しかったです。数学についてこんなに語り合うことってないですし(笑)、勉強になりました。

永野 こちらこそ、『数学ゴールデン』の続きを楽しみにしています!(おわり)