コーヒー好きの母に現れた変化が、私に決断させた
現在、私は「片づけ上手塾 エグゼカレッジ表参道校」で高齢化社会における片づけ=「大人片づけ」と題したセミナーを行っています。講師という立場から、実家の片づけに悩みを持っている方々にアドバイスを行ったり、実際に受講生さんや、一般の人の実家の片づけを手伝ったりもしています。また、全国各地で講演やセミナーを開催したり、雑誌やテレビにも出演してプロの目線から実家の片づけのアドバイスを行ったりもしています。
なぜ、私が「実家の片づけ」講師になったのか。それは、私自身が「実家の片づけ」で悩み、悪戦苦闘した、という実体験があるからです。
ある日久しぶりに実家に帰った私は、言葉にできない違和感を抱きました。私と違い、母はキレイ好きです。なのに、なんとなく掃除が行き届いてない感じがする。以前なら、孫の顔を見れば、あれもこれもとテーブルに並ぶはずの料理も出てこない――そんなときもあるよね、今日はきっと疲れているのよね。私はそう自分に言い聞かせました。きっと母の老いを認めたくない気持ちが心の中にあったのでしょう。
決定的なことが起こったのは、何年か前のお正月でした。趣味が日本画の母は、毎年自分で描いた絵を印刷して年賀状にしています。ところが、その年のものは、数年前に見たことがあるものでした。私はうっかり「これって、ずいぶん前の絵じゃないの?」と、責めるような口調で言ってしまったのです(本書でいうNGワードの極みです)。母は、はっとした表情を見せ、「さすがにするどいね。見てないようで見てるんだねぇ」と言いました。顔では笑っていましたが、その口調はちょっと、いやかなり寂しそうでした。
日本画というのは、絵の具を混ぜたり、下色を重ねたりするので、描くのにかなり体力がいります。いくら好きなことでも、億劫(おっくう)になってきたのでしょう。他人ならもう少し遠慮(えんりょ)というものがあるのでしょうけれど、これが親子の難しさです。そういえば、押し入れには10年以上前から、いつか描くと言って買ったままの白地のキャンバスが放置されたままでした。誰でも年を取る。完璧なはずの母も。
よく家の中を観察すると、変化が忍び寄っていました。母は、海外旅行のたびに買い求めたいくつものお気に入りのカップの中から、毎日その日の気分でカップを選び、コーヒーを飲むのが習慣の自称「珈琲通」です。ところが、いつの間にか台所の食器かごに置かれていたのは、キャンプで使うようなホーローの歯磨きカップのようなものでした。よく見まわすと、キッチンには1人用に新しく買った小さくて軽いミルクパンやフライパンと、昔から使っている大きな雪平鍋や大鍋が混在し、かえって物が増えている印象を受けました。
さらに驚いたのは、年を取ったという理由で、冷蔵庫を大きなものに買い替えていたことです。母はひとり暮らし。ファミリーサイズの冷蔵庫なんて必要ないはずなのですが、買い物に行けなかったときの不安から、まとめ買いができるようにしたと言います。しかし、冷蔵庫の中には案の定、食べきれなくて賞味期限切れのものが……。
このときを機に、私は実家を片づける決心をしたのです。