一方で、DAOでは所属する個人の意思、何をインセンティブとしてDAOに関わるかが問われます。特に、受動的な人が多い日本でDAOがどのように普及するのかは気になるところです。将来的にグローバルでWeb3の流れへと徐々に移行していくとすれば、その流れに乗り遅れないようにするために“日本的”な組織づくりを見つめ直し、対応していく必要もあるのではないかと考えます。DAOは、日本的な組織や人事制度とは真逆の性質を持つからです。
具体的には「ジェネラリストを育てるために、定期的なジョブローテーションを行う」「“石の上にも三年”として、本人の希望とは違うことも経験させる」といったやり方が挙げられます。実は、これらのやり方は組織や従業員本人のキャリアにとって、必ずしも悪くない部分もあります。
若いときから自分のキャリアを設計できる人にとっては、「エンジニアとして成功するために営業の現場も経験しておこう」といった、将来自分のプラスになる経験をあえて積むために日本的な人事制度をうまく活用することもできますし、DAOのような組織でも自分の関与の仕方を、最初はエンジニア以外のところでスタートすることもできるので、選択の余地があります。しかし、学生時代から与えられたレールに乗って来た多くの人にとっては、キャリアを自分で全て選び取って組み立てるのは、難しいこともあります。
私自身もそうでしたが、会社から言われて1年間営業を担当したことが、その後のエンジニア人生に役に立った、というようなことは結構あると思うのです。DAOにはそうした「自分では思ってもみなかった経験」ができなくなってしまう可能性が潜んでいます。
正規と非正規の待遇差が
DAOでは消滅する?
もうひとつ、日本的組織がDAO的組織へ移行する際、必ず見直さなければならない点として、「正規雇用と非正規雇用における待遇の違い」があります。同じ仕事をやっていても待遇が違う、ということが発生していてはDAOは成立しません。
DAOでは、そもそも正規・非正規という考え方がなく、むしろ全員が非正規で一種のギグワーカーのようなかたちで組織に関わることになります。
たとえばソフトウェア開発の現場で、業務委託やSES(システムエンジニアリングサービス)などで仕事を頼んでいる人がいたとします。こうした人たちは現状、コードを書くことだけが仕事になっていて、自分たちの関わる事業やプロダクトが成功してもしなくても、契約範囲で言われたことだけをやればよいということになっています。