【お寺の掲示板109】仏さまの言葉はだいたい耳に痛い妙慶院(広島) 投稿者:myoukeiin_buddhastagram [2022年10月9日] 

「聞く力」というのは大切です。それは自分に都合のいいことだけを聞き入れ、あとは聞き流すというものではありません。良薬は口に苦いように、仏さまの言葉は耳にピリッとくることが多いようです。(解説/僧侶 江田智昭)

 都合の悪いことは耳に入らない

「忠言耳に逆らう」という言葉があるように、自分にとって耳の痛いことはできるかぎり聞きたくないものです。これは『史記』に由来する言葉で、「忠告の言葉は、相手の感情を害し、素直に聞き入れられない」という意味です。

 仏教の教えの多くは、仏さまからの耳の痛い忠告の言葉です。それをこの連載で毎回紹介させていただいているのですが、読んでいて耳が痛いという反応を示す方が結構います。これは仏さまからの忠告の言葉をある意味、自分のこととして聞いている表れだといえるでしょう。

 しかし、すべての人が忠告を素直に聞き入れているか、といえばそうではありません。先日、東京新聞の記事中で、曹洞宗の尼僧である青山俊董(しゅんどう)老師が、昭和の禅僧として名をはせた澤木興道老師の法話会のエピソードを紹介していました。

 法話が終わった後、会場主の家族のしゅうとめがすぐに澤木老師のところにおしぼりを持ってきて、「素晴らしい話をありがとうございました。さぞかしうちの嫁は耳が痛かったことでしょう」と言われたそうです。その後お嫁さんがお茶を運んできて一言。「今日のお話はさぞかしおしゅうとめさんにとって耳が痛かったでしょう」と。

 青山老師はこのエピソードを紹介しながら、「いくら仏さまからの忠告を聞いても、聞き方が悪いと他人を非難する材料にしてしまう」とおっしゃっていました。以前、「私の物差しで問うのではなく 私の物差しが問われる」という掲示板の言葉がありましたが、仏教を通して他者を問うのではなく、あくまで自分の価値観を問うことが大切なのです。

「良薬は口に苦し」という言葉もあるように、自分にとって役に立つ言葉ほど、素直に受け入れ難いものです。そして、「口に苦い良薬」(仏さまの教え)に対して、感謝して受け入れるか、腹を立ててスルーするかによって、その後の人生が大きく変わってきます。

 本願寺第八代の蓮如上人は、ある方から「いくら仏さまの素晴らしい教えを聞いても、すぐに心が元に戻ってしまい、まるで籠(かご)に水を入れるようなものです。一体どうしたらいいのでしょうか?」という質問を受けたとき、以下のように答えたそうです。

その籠を水につけよ、わが身をば法にひてておくべきよし(蓮如上人御一代聞書)

 これはつまり、「自分の身を常に仏さまの教えの水の中に浸しておけばよいのだ」ということです。また、この言葉は浄土真宗の信心の問題と絡む部分があり、教えをそのまま素直に聞き、阿弥陀仏におまかせする大切さを強調したものでもあります。

 わたしたちはどうしても、自分にとって都合のいいことだけを聞こうとする傾向にあります。しかし、普段から常に教え(忠告)に触れていれば、耳の痛いことも素直に受け入れられるタイミングがあるかもしれません。ですから、常に教えに触れる環境に身を置きながら、自分のこととして素直に聞くことが大切だといえるのです。