「理科の実験」は実験ではない
さて、実験と言うと、子どものころの実験室で行われる「理科の実験」を連想する方が多いでしょう。
ですが、あれは実験ではありません。先生の言う通りに液体Aと液体Bを分量通り混ぜたら、こんな色に……という作業は、やる前から教科書に書かれていることであり、何の驚きも伴いません。レシピ通りにやるのなら、料理教室と何ら変わるところはないわけです。
事故になって子どもがケガをしてはいけないから、安全だとわかっていることだけをするという理屈はわかります。しかしそれならそれで、「これは実験ではない」ことを周知するのが筋ではないでしょうか。
そうしないのはおそらく、現場の教師も、カリキュラムを組んだ「偉い人」たちも、「これは実験ではない」ことを知らないからだと思います。そうした大人たちに教えられて、理科の実験を実験だと思う子どもが大人になっていくのです。
真の意味での実験とは、まだ答えが出ていない事柄を探ることです。
ですから、理科の実験のように結論はわかってはいません。そこで立てるのが仮説、すなわち「こうしたら、こうなるのではないか?」という予測です。
その仮説をもとにトライして、予測と違えば失敗。「ならば、こんな風にしてみたら?」と別な方法で再トライ。この繰り返しによって、発見を得ていくのです。
当然、失敗も起こります。しかし失敗も一つの発見であり、むしろ失敗が大きな成功に結びつくこともあります。
2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの「ソフトレーザー脱離イオン化法」も、失敗がきっかけで発見されたものです。
タンパク質の分子を計量する方法を見つけ出すために、日々実験を繰り返していた田中さんのチームは、ある日、別の実験に使う材料の調合を誤ってしまったのだそうです。そのとき田中さんは「捨てるのももったいないから」という理由で、その物質をタンパク質の実験に使用しました。すると、見事に計量に成功。こうして、田中さんは世界初の偉業を成し遂げたのです。
答えのわかりきったことを再現するだけの「実験もどき」では、こうしたことは絶対に起こりません。ささやかな発見から世紀の大発見まで、すべての実験は「わからない」から始まるのです。