苦労や挫折の「回数」は問題ではない

「消してしまいたい過去」はどうしたら消せるのか榎本博明『なぜイヤな記憶は消えないのか』(角川新書)

 結局のところ、これまでに苦労が多かったか少なかったか、嫌な目にあうことが多かったか少なかったかが問題ではないのだ。私たちの自伝的記憶には、ポジティブな出来事もネガティブな出来事も含めて、さまざまな出来事が詰まっている。大事なのは、ネガティブな出来事の中にもポジティブな意味を見出すことだ。

 自伝的記憶は、歴史年表のような単なる出来事の羅列ではない。それぞれの出来事の間には関連があり、流れがある。そして何かを思い出すとき、必ず何らかの感情が刺激される。

 受験の失敗は、それまで順調にきていた自分にとっては、ものすごく大きな衝撃だった。目の前が真っ暗になり、自分の人生を全否定するような感情に襲われた。必然的に浪人生活となったが、しばらくは自暴自棄な生活が続いた。でも、それははじめて真剣に自分の人生と向き合う経験となった。友だちとも、かつてのように浮わついた話ばかりでなく、深く語り合うようになった。今思えば、あの受験の失敗によって、人生観が鍛えられ、人間としての深みが増したように感じる。このようにかつてのネガティブな出来事にまつわる記憶にポジティブな意味づけができる人は、人生を前向きに歩むことができる。

 ここにネガティブな過去の記憶を書き換えるコツがある。過去というのは客観的事実ではない。客観的に自分の外にあるものではない。自分の記憶の中にある。そこで大切なのは、主観的な意味づけだ。

 自分の身に降りかかった出来事を消すことはできないが、その意味を書き換えることはできる。過去のネガティブな出来事にもポジティブな意味づけができるようになると、過去を恐れることなく振り返ることができるようになる。そうすれば、懐かしさに癒されることができるし、自伝的記憶は生きづらさをもたらすものではなく、生きる勇気を与えてくれるものになってくる。

 もちろん、そう簡単にポジティブな意味づけなどできないような、トラウマ的な出来事もあるかもしれない。でも、人々が抱えている「消してしまいたい過去」の多くは、意味づけを模索することで何とかポジティブな方向に書き換えていけるはずである。