「こんなにすごかったっけ?」デザイン思考に戸惑うデザイナーたち
東京とミラノを拠点としたビジネス+文化のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画。2017年、ロベルト・ベルガンティの著書『突破するデザイン』の監修に関与して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動するなかで、現在はラグジュアリーの新しい意味を探索中。著書に、『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)、『世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『イタリアで、福島は。』(以上、クロスメディア・パブリッシング)、『ヨーロッパの目、日本の目』(日本評論社)。共著に、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』(日経BP社)。訳書に『日々の政治』(BNN)。監修に『突破するデザイン』(日経BP社)などがある。
経営の戦略を考えるに当たってデザインが「使える」と見なされるようになったのは、およそのところ、今世紀に入ってからです。ロジカル一辺倒になるのではなく、直観的につかめることを大切にする、手を動かしてプロトタイプを作る感じで戦略を考える、などさまざまな解釈と表現がありますが(いや、あり過ぎるほどです)、デザイン教育を受けたデザイナーではないビジネスパーソンも、デザイナーの態度や考え方を学ぶとこれまでとはまったく違うイノベーションを導けるといわれ始めたのです。
この立役者が米国のスタンフォード大学とデザイン会社IDEOです。読者の皆さんも聞いたことのある「デザイン思考」というコンセプトの誕生です。シリコンバレーのエンジニアたちにデザインの考え方を広めたのがその契機の一つとして語られるように、デザインが「非デザイナー」に近接することが画期的であったのです。
20世紀後半には、スカンジナビア文化圏で経営者と労働者が協力していくことに目線を定めた「参加型デザイン」というコンセプトも生まれています。あるいは他の国でも建築家が建物とその周辺の人々と一緒にコミュニティーをデザインするなど、製品開発以外の文脈におけるデザイン活用の歴史はあります。ですからデザインの対象が広くなり、並行してデザインの定義が広がってきた経緯は20世紀にありました。
しかしながら、グローバルに商売する大きなサイズの企業がMBAの科目以外の領域にあるデザインに、経営手法として目を向け始めたのは、やはりビジネス界のニュースであったというべきでしょう。同時に、デザイン領域にいた人たちが「こんなに私たち、すごかったっけ?」と首をかしげ始めます。
デザイン思考は最初のコンセプトから時間を追ってどんどんと更新されてきているので、現時点で何をもってデザイン思考というかの定義付けは容易ではありません。その前提であえて言えば、市場にいる人たちの行動を観察、あるいは人々にインタビューして何らかの問題を見つけ、プロトタイプを何度も作りながら解決策を練り上げる、というのがおおよその枠組みです。今、世界各地の企業で多くの社員を巻き込みながら使われているデザイン思考は、このフォーマットを起点とした発展型であることが多いでしょう。