中野 脳科学的に、というよりは比較言語論のような話になってしまいますが、日本の、あるいは日本語話者のコミュニケーションのあり方は、ハイコンテクストだと言われますよね。まさに「空気を読む」という表現もありますけど、こんなの日本語だけ。一つの単語が表す意味が重層的であったり、同音異義語も多くて、意味をあえて特定しにくくしているフシすらある。表情や声のトーンなど言葉以外の情報に頼ることも頻繁にあります。受け取る側のリテラシーが試される言語です。さらに、失敗してしまった時のペナルティも大きい。このペナルティの大きさは「社会性の強さ」とも言えます。日本がこのような独特の社会を形成した要因の一つには、災害が多いことも関連していると思います。
鴻上 「社会性の強さ」とは僕の言う「世間性の強さ」ということですよね。同じ「世間」に生きているなら、言葉がハイコンテクストでも成立します。逆に言うと、「世間」の団結を強めるためには、ほかの集団には通じない符牒(ふちょう)、独特な言葉を使うことが大事になる。ほかの集団には通じない言葉を使えば使うほど、同じ集団に属す我々は一つだという快感を覚えることになります。
中野 思考停止していても安全、ということですしね。
鴻上 その符牒を読み間違えてしまうと、我々の「世間」には所属していない者だと認定され、強烈な制裁がやってくるわけです。
中野 共同体を破壊し、安全な思考停止状態を破る危険な異物として排除されてしまうんですよね。
好きなことをしているとたたかれる国
鴻上 コロナの影響で国から自粛を求められた時に、「演劇界を含め、自粛要請でダメージを受けた業界には、休業補償をお願いしたい」とインタビューで話したら、そのインタビューをネットで読んだ人から「好きなことをやっているんだから、貧乏でいいだろう」という反応があったんです。
中野 同じ時期に、日本俳優連合の理事長を務める西田敏行(にしだとしゆき)さんが、俳優の窮状を訴える要望書を国に提出したら、同じようにバッシングされてしまったことをよく覚えています。「好きなことをやっていると責められてしまう国って何なのかな…」とすごくモヤモヤとした気持ちになりました。