中野 「好きなことをやっている」ということにマスクされてしまって、その人が実際どんな状況にあり、なにを考えているのかまで見えていない。解像度がすごく粗くなっているんですよね。私たちの脳は、自分の身の回りの人のことはよく見えるんですが、自分の集団にはいない人のことは、記号のようにしか認知できません。つまりよそ者のことは、記号だから攻撃してもいいんだと思ってしまうんです。
鴻上 そこをどう乗り越えていくか、ということですよね。
万が一、自分が攻撃の標的になってしまった時は
中野 「努力して変えていきましょう」というのは、基本的に機能しない呼びかけだと思っているんです。場合によっては、より悪い状況にもなる。努力できる人だけが損をし続けていく仕組みだからです。努力できない時間はそれができないということ。何か一つ努力しだすと他のことができなくなるくらい、人間の脳というのは努力には向いていません。さらに、仲間として認知できる人数は、百五十人と言われていて、それ以上の人たちは、記号としてしか扱えない残念な脳なんですよ。私達はそもそも色眼鏡をかけて生まれてきている、ということを知るしか方法はないように思います。
鴻上 人間はそうやって色眼鏡をかけるほうが快感というか、快適だから、色眼鏡をかけるわけですよね。
中野 ええ。だから、自分が気持ちよさに負けて誰かを攻撃しそうになった時に、「いけない、私、色眼鏡をかけてたわ」と気づくきっかけをどこかに置いておくことが大事です。逆に、万が一、自分がその攻撃の標的になってしまった時は、「あの人、色眼鏡が外せてないな」と思えるよう、心算をしておくことをおすすめしたいです。