鴻上 好きなことをやっていると、ネットで攻撃されるのはどうしてだろうと疑問を感じて、エッセイに「街のラーメン屋さんを含め、自分で事業を始めた個人事業主は、今はコロナ禍で苦しいかもしれないけれど、たぶん好きなことをやろうとした人達。サラリーマンは半分半分くらいで、今増えている非正規雇用の人たちは、好きなこととは遠いことをやっているんじゃないだろうか」と、書いたんです。そうしたらそのエッセイがネットにアップされた数時間後には、「好きなことをやっていないのは非正規」と僕が言っているというスレッドがネット上に立っていて驚きました。

中野 え…!

鴻上 そのスレッドをよく読んでみると、僕のエッセイの一部分しか抜粋していないんですよ。だから、それを元にして呟いていた人に、「全文を読んでください」と丁寧に一人一人レスポンスをしたんですが、今度は「鴻上が憑(つ)いた」というツイートが出てきて、その瞬間、「なんでこの暗闇に僕は石を投げてるんだろう?」と我に返りました。

中野 書かれていることを、意図的に歪めて読み取ったり、アクセス数を伸ばすために敢(あ)えて人の気持ちを逆なでするように切りとったりする人はいますよね。それにしても、好きなことをやっている人がとがめられる時代というのは、本当に闇だなと…。

鴻上 自分が好きなことをしていないから、好きなことをやっていると思われる人を見たら、許せないと感じてしまうんだとしたら、これは脳科学的にはいわゆる嫉妬になるんですか?

中野 はい。嫉妬、というか正確には妬みですね。自分は我慢をしているのに、あの人だけは好きなことをやっていて「ずるい」と認識すると、その人を攻撃せずにはいられなくなる。

 私はその点で標的になりやすい人達の代表例として、スポーツ選手が挙げられるのではないかと感じています。「国のために頑張ります」と言うのは許されても、「楽しんできます」と言うのは許されない。もし楽しんで結果を出せば、賞賛されるかもしれませんが、結果が出ないと、成績とは関係がない、例えば、ファッションや化粧のことまで槍(や)り玉(だま)に挙げられて非難されてしまう。好きなように生きていることが、これほど罪のようにとがめられてしまうことに、危惧を覚えます。

色眼鏡をかけるほうが人間にとって快適

鴻上 確かに僕は好きな演劇を仕事にしているのですが、好きなことを仕事にすることは、ただ「楽しい」とか「嬉しい」ということではないんです。好きなことを仕事にした人なら、みんな直面すると思うんですが、好きなことを仕事にするために、やらなければいけない「好きでないこと」が、かなりの量あるんです。

 演劇で言えば、よくファンの人達が使う「大人の事情」というものも実際にあって、思ったとおりにできないことも多々ある。うかうかしていると演劇そのものをどんどん嫌いになるような出来事もある。そういったことを全部無視されて「好きなことをやってるんだから文句を言うな」と言われてしまうと、すごい無力感にとらわれますね。