現金一括で買える範囲(人によってその金額は違うが)、大体坪一桁万円~10万円程度で、広くとも100坪未満の手狭な物件を購入してみよう。物件を購入すると、土地の値上がりはほぼ期待できないので、売却益や利回りは無視する。そんな世俗的な損得を想定していては、二拠点生活は続かない。ひたすらこの物件を自分にとって快適な環境に少しずつでもよいから作り替えるのだ、というローテンポの意志の持続が重要である。

 賃貸だとこのモチベーションが無くなるので、やはり買った方がいい。繰り返すように地方に於いての区分所有権購入はおススメしない。

 二拠点生活は厳しく、苛酷であり、当初の想像以上にカネと時間が消費されると思った方がよい。「テレワークが当たり前の時代になったから、週の半分は田舎で過ごしてリフレッシュしよう!」などという軟弱な考えは通用しない。甘く考えているとやけどをする。

 単純計算ですべての手間が2倍になることにあなたは耐えられるのか。それが楽しいと思えるのであればよいと思うが、少しでも「面倒くさい」と考えるのなら、自宅の一拠点だけで十分だ。大前提的に、往復200キロぐらいの恒常的な中距離移動に苦痛を感じるのであれば、その時点で二拠点生活は無理だ。

 さらに本質的なことを言うと、日本に「真の田舎」などというものは存在しない。もはやどの地方に行っても、東京と同じチェーン店とコンビニがある。自宅と同じような生活環境が、単に密度を薄くして広がっているのが日本の地方都市だ。地方だからといって「心が通う人間と人間との“交流”」とか「温かい田舎の人々との“つながり”」などが新しく発生する可能性は小さい。

 地方に行けば行くほど人々は政治的に保守的であり、社会的にも保守的になるからである。田舎の旅館の「おもてなし」に都会人が感極まるのは、田舎の人が純真無垢(むく)などではなく、旅館業として営利のサービスを密にしているからにすぎない。東京だろうと地方都市であろうと農村部であろうと、もはや現代日本人の心理に特段の差異はない。

 日本でモテない人間が海外に行ってもモテないのと同じで、東京で人間関係を構築できなかった人間が、人口10万人の地方都市で二拠点生活を始めても、突然友人の輪が広がったり、恋人ができたりするわけではない。

 ドラマの中ではそういうことはあるが、実際にはない。人生はドラマや映画ではない。ドラマや映画は無駄な部分を編集しているから劇的になる。が、人生は無駄な部分を編集してカットすることはできない。

 そういった「延々と続く日常」に耐えられる者だけが、二拠点生活をエンジョイできるだろう。相応の覚悟のある者だけが、二拠点生活における真の勝利者となるだろう。人生は極めて退屈だが、二拠点生活もまた至極退屈なのだ。

(作家/令和政治社会問題研究所理事長/日本ペンクラブ正会員 古谷経衡)