各国代表チームが活動できるのは、原則として国際サッカー連盟(FIFA)が定める国際Aマッチデー期間となる。カタールW杯後の最初の国際Aマッチデー期間は来春に設定されている。3月20日から28日までの間に、日本を含めた世界中の協会が代表戦を2つマッチメークできる。
極めて限られる活動期間で、何をすれば理想との距離を縮められるのか。堂安は選手個々が持つ力をさらに高めながら、顔を合わせるたびに代表へ還元する作業を続けるしかないと前を見すえた。
「この大会であらためて思ったのは、自分の役割はゲームを作るミッドフィルダーではなく、ゴールを決めるフィニッシャーだということ。そう考えれば、自分の新しいポジションも開拓できる。直接FKにしてもキックが一番上手い選手が蹴るべきだし、自分が蹴りたいと望んできたシンプルな理由でもある。もちろん、直接FKの練習ももっとしていかなければいけないですけどね」
堂安だけではない。守備の要を担うDF冨安健洋(アーセナル)やDF板倉滉(ボルシアMG)、短い出場時間ながら十八番のドリブルでインパクトを残したMF三笘薫(ブライトン)、そして2年後のパリ五輪世代でもあるチーム最年少、21歳の久保もさらなる精進を誓っている。
特にクロアチアとのPK戦で2番手のキッカーを志願するも、1番手のMF南野拓実(モナコ)に続いて失敗。号泣した敗戦直後のピッチ上に続いて、会場となったアル・ジャヌーブ・スタジアム内の取材エリアでも泣き続けた三笘は、決意を込めて思いを堂安にシンクロさせている。
「チームを勝たせる存在にならなければいけない。W杯で活躍して、チームをベスト8よりも先の世界へ導ける存在がいい選手と呼ばれると思っているので」
堂安も三笘も、ピッチ上で演じるパフォーマンスを、いま以上に周囲から認めさせたいとまず思い描く。その先に待つポジティブな変化を、森保ジャパンが船出した2018年秋からチームをけん引してきた吉田、そして長友の背中を思い出しながら堂安はこう語っている。
「2人とも(その前の)先輩方の背中を見て、いまのような存在になったと思う。なので、次は2人を見た僕たち東京オリンピック世代が、背負っていかなければいけない。僕自身、エースになりたいとずっと言ってきましたけど、リーダーにもならなければいけないといまは思っています」
森保ジャパンが
カタールの地に残したもの
カタールに住む人々やW杯のためにドーハを訪れた人々が日本へ向ける視線が、ドイツ戦を境に一気に変わった。筆者が日本人だとわかると、地下鉄の各駅やスタジアムの近くに配置されている大会ボランティアの方々が、笑顔を浮かべながら手を振ってくるようになった。
日本人サポーターが試合後のスタジアムでゴミを拾う姿や、日本チームが試合後のロッカールームを綺麗に清掃する行為も必然的に注目される。コスタリカ戦前日の公式会見ではアメリカ人の記者が森保一監督に、一連の清掃行動の真意を問う異例の場面もあったほどだ。
「日本の文化として、使ったところを綺麗にして帰るのは当たり前で常識的だと思っています」
質問を受けた瞬間は驚きながらも、しっかりと答えた森保監督と日本サッカー協会(JFA)との契約もカタールW杯とともに切れる。森保ジャパンが歩んだ4年あまりをキャプテンとして支えた吉田がクロアチア戦翌日に残した言葉を聞けば、どのような監督だったのかは察しがつく。
クロアチア戦を終えてから最後の取材対応に臨むまでの数時間あまりで、吉田は森保監督とほとんど言葉を交わしていない。目を真っ赤に腫らしながら、吉田はその理由を明かした。