W杯で感じた「日本人の教育」に必要なこと、海外流が正解とは限らないPhoto:Etsuo Hara/gettyimages

かつてのサッカー日本代表は、海外の著名監督を登用し、欧州や南米のスタイルの導入を目指してきた。だが、それで結果を残せたとは言い難い。今回のカタールW杯では、日本人の森保一監督が率いる代表チームが強豪国を次々と打ち破った。大学教授である筆者は、教育関係者がこの結果から学べるものは多いと感じた。現代の主流である欧米流の教育が、日本の学生に適しているとは言えないからだ。サッカーと教育の両方で「海外流」が必ずしも正解とは限らない理由を、教育者の立場から解説する。(立命館大学政策科学部教授 上久保誠人)

森保ジャパンのW杯での躍進は
偶然ではなく必然だった

 サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会に出場した日本代表は、優勝経験のある強豪、ドイツやスペインを次々と撃破する「ジャイアント・キリング(大番狂わせ)」を演じた。その結果、「死の組」と呼ばれた予選リーグ「グループE」を首位で通過し、2大会連続で決勝トーナメントに進出した。

 決勝トーナメント1回戦(ベスト16)では、前回大会準優勝のクロアチアと対戦。1点を先行しながら追いつかれ、延長戦でも決着がつかず、PK戦で敗退となった。

 W杯開幕前、「死の組」に入った日本代表への期待は、過去のW杯と比べて低かった。その日本代表が予想を大きく裏切る大健闘を見せた理由は、既に専門家がさまざまに論じている。

 本連載は政治や国際関係をメインテーマとしているが、サッカーW杯が開催される4年に1度だけ、サッカーと絡めた論考を掲載してきた(前回・2018年は本連載第188回)。今回も「森保ジャパン」の戦いを総括して、専門家とは異なる視点からの「日本人論」としてみたい。

 私は前回、予選リーグを突破し、優勝候補のベルギーと大熱戦を演じた日本代表の戦いを「偶然完全」という言葉で表現した。

「偶然完全」とは名優・勝新太郎の言葉である。「完全なものは、計算された表現からは絶対に出てこない。即興の緊張感のなかからのみ生まれる」という意味を持つ。

 前回大会では、W杯開幕2カ月前にバヒド・ハリルホジッチ監督が解任され、西野朗監督が急きょ後任に就任した。西野監督は本田圭佑、香川真司、岡崎慎司らベテラン中心の選手選考を行い、「おっさんジャパン」などと批判された。

「おっさんジャパン」は、直前の強化試合では連敗し、低パフォーマンスに終始したが、本番のコロンビア戦で突如、全く別のチームのように変化。その後もセネガル、ポーランド、ベルギーといった強豪国と対等に渡り合った。

 私の中で、この変化を説明するのにふさわしかったのが、名優・勝新太郎の「偶然完全」という言葉だったのだ(詳しい解説は4年前の記事を参照してほしい)。

 それに対して、今回のカタールW杯での日本代表の躍進は、「偶然から必然へ」と表現できる。