デザイナー以外の人がデザインに関わる重要性が高まっている
意味とは、コンテクストの中で生まれるものです。「科学は予測能力を持つことを重視するので、コンテクストから切り離すことで普遍性を求める」(静岡大学准教授・本條晴一郎氏の言葉)に対して、意味は個人的な感覚をも含め、政治・経済・技術・文化などさまざまなコンテクストとの関係の中で成立します。ですから、チャートのどの部分が殊に重要ということはありません。
しかし、ベルガンティはチャートの第1象限(右上)の部分、デザインの専門的技量を持った人たちがメインで活躍するビジネスにおけるセンスメイキングにフォーカスしてきました。ESG投資やSDGsが頻繁に参照されるように、気候変動や人権問題なども絡み、あらゆることがビジネスセクターだけでは動きづらくなっています。イノベーションの主要なアクターは、技術や科学を先導する人々ばかりでなくチャートの下半分にいる「人々」が鍵です。
従って下半分がビジネスでも重要になってきています。経営学者であるベルガンティのメインとなる聴衆が企業人であることから、チャート全体を視野に入れながらも第1象限の語りを期待される場合が多いのです。ですが、繰り返しますが、下半分を入れない第1象限(右上)は役に立たないとさえいえます。ここは誤解されやすいので太文字にしたいくらいです。
映画の名作に見るセンスメイキング
東京とミラノを拠点としたビジネス+文化のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画。2017年、ロベルト・ベルガンティの著書『突破するデザイン』の監修に関与して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動するなかで、現在はラグジュアリーの新しい意味を探索中。著書に、『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)、『世界の伸びている中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『イタリアで、福島は。』(以上、クロスメディア・パブリッシング)、『ヨーロッパの目、日本の目』(日本評論社)。共著に、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』(日経BP社)。訳書に『日々の政治』(BNN)。監修に『突破するデザイン』(日経BP社)などがある。
意味のイノベーションの代表例としてろうそくがよく挙がります。電気が発明される以前、ろうそくは手元を明るくともす機能的なモノでした。そこでは長い時間、火がともり続けるろうそくの評価が高かった。しかしながら、電気が普及した時代にあって、ろうそくは精神的なリラックスやロマンティックなムードを求めるために使われる。そのため近年においてもろうそく市場は伸びている。これがろうそくの意味の変化であるというわけです。
ベルガンティはこのネタをよく使い、私自身もよく紹介してきました。立命館大学の八重樫文さんと書いた『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング 2017年)の表紙にもろうそくが描かれています。とても分かりやすいと好評です。ただし、この事例には欠点があることに気が付きました。意味のイノベーションとは商品開発だけに適用されるとの先入観が生まれやすいのです。人が生きる活動と空間の中の全てが対象になる。それにもかかわらず、企業の特定のモノを対象にするものと思い込む。そのため、前述したように「意味のイノベーションはリーダーシップに関わります」と話しても、ポカンとされたりするのです。そういう方には次の話をします。
1997年に公開されたイタリア映画に『ライフ・イズ・ビューティフル(邦題:人生は美しい)』があります。米アカデミー賞も受賞したこの作品は、第2次世界大戦中に強制収容所に送られたユダヤ人家族を描いています。ここで主人公である父親は小さな息子に対して、「これはゲームだ。いい子にしていたら本物の戦車で帰宅できる」と思い込ませたため、息子はつらい強制収容所での生活を生き抜くことができました。
映画をご存じの方は「ああ、そうか!」とお分かりいただけます。
現在、感染症、各地に起きる紛争や戦争、さまざまな「正義」による分断、強烈なインフレーションと、世界は八方ふさがりのような光景が広がります。しかし、どのような現実も解釈次第でどこかに必ず穴を見つけられます。そこをこじ開けていくことで現実に希望を持てるとするのが意味のイノベーションなのです。『ライフ・イズ・ビューティフル』は意味のイノベーションの教科書のような映画です。もし、まだでしたらご覧になってみてください。言うまでもなく、ヴィクトール・フランクル原作の『夜と霧』(アラン・レネ監督 1956年)でも結構です。