頭のいい人は、「遅く考える」。遅く考える人は、自身の思考そのものに注意を払い、丁寧に思考を進めている。間違える可能性を減らし、より良いアイデアを生む想像力や、創造性を発揮できるのだ。この、意識的にゆっくり考えることを「遅考」(ちこう)と呼び、それを使いこなす方法を紹介する『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』が発刊された。
この本では、52の問題と対話形式で思考力を鍛えなおし、じっくり深く考えるための「考える型」が身につけられる。「深くじっくり考えられない」「いつまでも、同じことばかり考え続けてしまう」という悩みを解決するために生まれた本書。この連載では、その内容の一部や、著者の植原亮氏の書き下ろし記事を紹介します。

遅考術Photo: Adobe Stock

ランダムは敵にも味方にもなる

「ランダム」とは、1つ1つのものをことさら区別しないといった意味の言葉だ。

 さいころを振るとき、どれか1つの目がほかの目よりも出やすいとか出にくいといったことはない。

 1から6までの目の出方の1つひとつがことさら違うことはないという意味で、さいころの目の出方はランダムなのだ(ただし現実の不完全なさいころではなく、数学で出てくるような理想的で完全なさいころの場合)。

 では、言葉の意味を確認したうえで問題――さいころを10回続けて振るとき、可能性が高い目の出方は次のAとBのどちらだろうか?

A:1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
B:3 6 2 1 5 2 4 3 1 5

意外な答え

 直観的には「B」と答えたくなる。さいころの目はランダムなのだから、Aのように1が10回も続けて出る可能性はとても低いと思ってしまうからだ。

 けれども、実はAもBも可能性としては同じである。どの目が出るかの確率は毎回つねに6分の1で、前にどんな目が出たかには左右されない。

 左右されると思ってしまう間違いは「ギャンブラーの誤謬」と呼ばれている。

 Aのように1が10回続けて出る場合でも、さいころを振るときに1の目がそのつど6分の1で出る、ということが10回くりかえされるだけだ。

 これはBでも同じで「さいころをふるたびにそれぞれの目が6分の1の確率で出る」ということが10回続くに過ぎない。

 したがって、AとBの出方は、可能性としては等しいのである。確率はともに1/6の10乗、つまり1/60466176ときわめて小さい。

誤答してしまうワケ

 にもかかわらず、多くの人がBの方がありそうだと思うのはどうしてなのだろうか。

 ここには「代表性バイアス」がからんでいるといわれる。これはおおまかにいえば、典型的なものとして捉えやすい事柄ほど、その数や可能性などを大きく見積もってしまう、という思考のクセだ。

 ここでは、さいころを振り続けるといろいろな目が不規則に出る、という通常よくある経験にマッチするBの方が、典型的な目の出方に見えて、可能性も高いと思ってしまうわけだ。

 しかし、こうしたことを知ってもなお、代表性バイアスを拭い去ることは難しいようだ。

 たとえば、知り合いの大学教授はこんなふうに話してくれた。

「宝くじはどの番号でも当たる確率は変わらないということを頭ではよく理解している。けど、111111……みたいな番号じゃなくて、買うのはどうしても362152……のような番号のくじになっちゃう。そっちの並びの方がランダムに見えて、当たりの番号としてありそうに思えるから」。

 わかっていても避けられない――これはもう人間の性(さが)というべきものだろう。