もし天気予報がなければ
私たちの生活はどうなるのか?
――私たちは毎日、当たり前のように天気予報をチェックしていますが、もし天気予報がなければ私たちの生活はどうなるのでしょうか?
森田 世界中の天気予報に費やした金額に対し、少なくとも10倍以上の経済効果があるということを、天気に関する国際的な組織のWMO(世界気象機関)が発表しています。日本で言うと気象庁の予算が600億円です。
これは昔から「コーヒー予算」と言われていたんです。喫茶店でコーヒーの料金が50円だった時代の予算は50億円、200円の時代は200億円、今は400〜600円位でしょうか。国民1人当たり1年で500円くらいを負担していることになります。600億円の10倍以上ですから、6000億円以上、おそらく1兆円ほどの経済効果はあるはずです。
傘を持っていくべきかどうかから始まり、雨でイベントが中止になるかどうかはそこに出店するお店にとって重要ですし、デパートでも売る商品が変わってきます。長期予報になれば、経済に大きく影響してきます。冷夏であればクーラーは売れませんし、猛暑であればビールが売れるでしょう。災害の被害によってそこで生活する人が大きな損失を被らないようにするための対策も必要です。
日々、天気予報が経済と密接に結びついていることを意識することはないと思いますが、実はこうしたリスクヘッジに大きく役立っているんです。
気象庁は気象データをもっとビジネスに役立てようと、気象データとビジネスのデータを分析し、掛け合わせることのできる「気象データアナリスト」の育成に力を入れています。こうした人材が企業のマーケティングにたずさわれば、気象のリスクを回避して利益アップが見込めるはずです。
――予算の話で言うと、気象庁が予算緊縮のために動物季節観測を廃止する話がありました。
森田 そうなんです。「生物季節観測」には、身近な動物を観測する「動物季節観測」と、植物を観測する「植物季節観測」の2種類があります。いずれも、季節の進み具合や長期的な気候の変動を把握するなども視野に入れた重要な観測であり、1953年から気象庁で行われています。2020年11月に「生物季節観測」の見直しが発表されたのですが、それは「動物季節観測」の全廃を前提とするものであり、私たち気象関係者にとって衝撃なニュースでした。
なぜなら、動植物の変化や季節の移ろいを記録することは気候変動や温暖化の指標として重要ですし、産業の興隆や公共の福祉への貢献にもつながります。SGDsの重要性が問われている時代に、世界の流れに逆行した選択のようにも思えました。
私は見直し自体は否定するものではありませんが、動物季節観測の全廃はやりすぎではないかと思い、再検討を訴える記事(YAHOO!JAPANニュース「気象庁に問いたい。動物季節観測の完全廃止は、気象業務法の精神に反するのではないだろうか」2020/11/10)を書きました。すると、その記事を当時、環境大臣をされていた小泉進次郎さんが読んでくださったようで、その次の月にお会いすることができたんですね(「小泉進次郎環境大臣を訪問 形を変えた動物季節観測の継続を」2020/12/22)。
気象庁と環境省は別の機関ですが、近年、組織の垣根を超えて業務を行うことも増えているようです。生物季節観測は環境の問題でもあるので、環境大臣に関心を持ってもらえることはありがたく、気象庁と環境省、そしてスマートフォンなどを活用しての市民の力を借りた、生物季節観測の継続を提案いたしました。
2021年3月に気象庁と環境省のかたにお会いすると、試行錯誤しながらさらなる見直しを行っているとのこと。その後、1カ月たたないうちに、気象庁と環境省は、試行的に観測を継続することを発表しました。注目すべきポイントは、省庁の垣根を取り払ったこと、そして、市民参加型調査を取り入れたことでしょう。現在、新しい概要を作成中のようで、より広範囲な観測網がつくられることが期待されます。私たち市民が関心を持ち、声を上げることで反響が広がり、行政の決断を変えることもできるのです。
――今後、気象予報はどのように進歩していくと思いますか?
森田 難しい質問ですね(笑)。コンピューター、つまりAIが必ず主流になっていくとは思うんです。それを人間がどう利用していくかというのは、まだまだ始まったばかりですよね。
たとえば、外には車が多く走っていますが、車がワイパーを動かした瞬間に、それが雨だということがわかります。1台や2台なら誤作動かもしれませんが、何千台、何万台が同じ動きをすれば、レーダーよりも正確な雨域(雨の降っている区域)を判定することができるはずです。そういったデータと、ある地域のスーパーの売れ行きの相関を商品や時間別に分析すれば、価値のあるデータができますよね。そうしたこれまでになかったデータが今、集められている最中だと思うんです。
データが集まってもすぐには(利用できる)ものにはなりませんよね。実際に膨大な量のデータが集まったときに、それは新しい商品になります。2030年ぐらいからそうしたデータが次々に活用され始めるだろうとおっしゃる専門家もいます。この10年の間に、気象に限らずあらゆるデータが蓄積され、その後は生活やビジネスもガラリと変わるかもしれません。いったん使われ始めると、広まるのは早いですよ。
でもそうなると、データを利用できるかできないかによって、言い方は悪いかもしれませんが、勝ち組と負け組に分かれてしまいます。持つ者と持たざる者の格差が大きくなってしまう。そうすると「不安定」になってきます。
気象が教えてくれるもっとも大事なことは「気象というのは安定と不安定の間にある」ということなんですね。ずっと安定した天気が続くと、必ず不安定が増大して、上空に冷たい空気が入ってくると下のほうに暖かい空気がたまり、積乱雲ができて大雨が降ります。不安定を安定に変えるためにそのエネルギーを放出して嵐が起こる。
人間の世界も同じで、安定が長続きすると、必ず不安定が大きくなります。たまに不安定をかき混ぜてやらないと不安定はどんどん大きくなって、それが戦争や革命へとつながっていく。これが人類の歴史なんですね。
ですから、データを利用する人としない人が同時に生身の資本主義の中にさらされると、すごく厄介な問題が起こる、そのことを懸念しています。どこかで、行政なり、強い権力を持つ者が時々は小さな平衡化を行っていくことが、この先、必要になってくるのではないでしょうか。