これらの人たちは、「出世したいか」と問われれば「まあちょっとくらいは出世したいです」あるいは「それほど出世したいとは思いません」という答えになるが、「出世はしたい。でもそのためにそれほどの犠牲は払いたくない」というのが実際のところだ。

 したがって、心から出世を望んでいる人との争いには負ける可能性が高くなる。本当に出世を望んでいる人は、徹底的に自分の見せ方を工夫し、野心でギラギラしていても、それらを上手に覆い隠して落ち着いた態度を示すだけでなく、成果が出そうなところに自分の身を置き、失敗プロジェクトからは上手に姿を消すからだ。

 出世はしたい、でも煩わしいことには身を置きたくないという中途半端な姿勢では、徹底して出世を目指す人にはまず対抗できない。

出世か出世放棄かではなく
中間的な道もある

 一般的な成功者の本などでは、こういう中途半端な状況こそストレスの原因であり、良いキャリアを積むためには、しっかり腹決めをせよということが書かれていることが多い。そしてたいてい、以下の三つの選択肢が示される。

【選択肢1】出世するジェネラリスト:ある程度の如才なさを発揮しながらも、出世して権限を手に入れて、社会に貢献できる立派な仕事をする

【選択肢2】スペシャリスト:自分の得意な領域に特化して、プレーヤーとして一流を目指す

【選択肢3】出世放棄:出世などはもうすっかり諦めて、自分の居場所を失わない程度にしっかり仕事をして、仕事以外のところに楽しみを得る

 このあたりが勧められているはずだ。しかし、やってみて判明することだが、なかなかこの三つの中から一つを選ぶことはできない。選択できる人は、人から言われなくても決めて実行している。心も体もこれらの選択肢のどれかに沿うことが快適だからだ。一方、決められない人はいつまでも決められない。それは、これらが自分に合う選択肢ではないからだ。

 どれにしても、無理なものは無理なのである。よって、私の提案は、「本当のところは、出世はしたい。でもそのためにそれほどの犠牲は払いたくない」を肯定的に解釈して、このように生きることを良しとしてはどうかということだ。

【選択肢4】適度に仕事をして適度に出世を目指す。ただし、そのために大きな犠牲は払わない。

 要するに、仕事はそれなりにしっかりする。ただし、上司のちょうちん持ちはしない。行きたくない飲み会にはいかない。出世に関しては、そのために過剰な努力をしていない分、努力をしているものとの比較において劣位である。よって出世の確率は低い。そうすると、出世を目指す人たちにはたいがいは負けるが、後輩に先を越されても卑屈にならない(だって、投資額が少ないんだから)。上司から出世を餌にコンプライアンスに問題のありそうな指示を受けそうになったら、あまり深く聞く前に断る(聞いてしまったうえで断ったら、ずっと嫌がらせを受けることになる)。または、常々、出世のためにコンプライアンスに問題のあるようなことはしませんと公言しておく。

 このように中途半端な自分を肯定的にとらえ、それに沿った期待値設定をし、自分を過大評価せず、他人を恨まずうらやましがらず、それなりに楽しく生きるという方法だ。