森下との欧州旅行に際し、許が紙袋に詰めて持参した現金は、実際のところは7000万円ほどだったというが、海外への現金持ち出しは今も昔も外為法や関税法によって厳しく規制されている。
紙袋の現金を見て驚いたのは、森下をはじめとしたアイチの一行だ。数百万円なら税関に届け出をして持ち込めばいい。あるいは手分けして荷物の中に隠して持ち出すこともできなくはない。が、そのレベルの金額ではない。森下は言った。
「いくら何でもそんなに現金を持ち出せないよ。税関に没収されるのがオチだから、運転手に持って帰らせる以外にないんじゃないかな」
現金の持ち込みに関し、米国は申告さえすればたいていOKになり、比較的緩い。が、欧州はことのほか厳しい。これまで書いてきた通り、森下は世界中の旅先で大きな買い物をしてきた。最初は現金だったが、80年代に入るとクレジットカードが普及し、現地の買い物はすべてクレジットカードか、銀行送金による決済となった。現金で持ち込むのは、ホテル関係者やツアーガイドに弾んできたチップくらいだ。
現在はそのチップですらクレジットカード払いが主流となっているほど、欧米で現金は流通していない。日本から大金を持ち出して旅先で買い物の決済をすることはまずありえないが、許はそのあたりの事情に疎(うと)かったのかもしれない。
肩代わりした2500万円のカード決済
森下には逮捕、起訴歴こそあったが、銀行取引ができないわけではなく、クレジットカードも自由に使えた。森下は、アメリカン・エキスプレスの最上位のカードを携帯し、海外でさまざまなモノを買ってきた。
現在、最上位のアメックス・センチュリオン、通称「ブラックカード」ができたのは99年だ。したがってバブルのこの時代は、84年にできた「プラチナカード」がアメックス最高ランクのカードだった。戦車や航空機でさえ買えるといわれる決済上限なしのブラックカードほどではないにしろ、80年代後半のプラチナカードは、世界中の富裕層が使い、ステータスが与えられていた。億単位の買い物でも決済が可能だった。
許がクレジットカードを所有していなかったのか、そこは定かではないが、少なくともこの頃は現金主義だったのだろう。クレジットカードを持たないまま、森下とともに欧州に旅立ったという。最初の立ち寄り先はスイスのジュネーブだった。森下が苦笑交じりに語った。
「永中は時計集めが趣味なんですな。それで、向こうに行くと、まず時計を買いたいというので、案内したんだよ。ところが、カードを持っていないというから困りました」
初めにジュネーブで立ち寄った店が、高級ブランド「パテックフィリップ」だった。許は店に並んでいるなかでも最高級クラスの腕時計を買おうとした。日本円にして2500万円前後する代物である。だが、許の手もとには3人の秘書に手分けしてスイスに持ち込ませた数百万円分のフランしかない。
「(森下)会長、申し訳ありませんねんけど、立て替えといてもらえまへんか」