欧州行きの真の目的は絵画の取引
許が頼み込んだ。しかし森下はすぐにOKだとはいわない。しばらく考え込んでそばに控えていたアイチの秘書に命じた。
「おい、おまえのカードを貸してやれや。それで、日本に帰ったら、永中さんに現金を届けてもらえばええ」
金銭に関する森下の感覚は常人のそれではない。ただし、それは単なる吝嗇(りんしょく)というのともやや違う。自らのカードを使わなかったのは、それなりの理屈があった。時計の買い物となるとプライベートな金銭の貸し借りだ。仮に支払いが滞ったとき、その2500万円程度の貸し付けを取り立てるのは憚(はばか)られる。そのため、秘書にカード払いを頼んだのだという。
一方、頼まれた秘書は肝を冷やした。「私のカードなんて、そんなに使えませんよ」そう断ろうとした。すると、森下が言った。「無理かどうか、試しにやってみれ。落ちる(決済できる)と思うぞ」
森下の言った通り、不思議なことに一度に2500万円もの買い物が秘書のカードで決済できたという。その理由は簡単だ。
森下はこの頃、1カ月のうち3週間を海外で過ごすほど渡航頻度が多かった。そこに同行する秘書たちも似たような暮らしぶりになる。と同時に、秘書たちが旅行費用の立て替え払いをする場面も少なくなかった。もとより立て替え費用は帰国後にアイチの経理部から返金されるが、クレジットカードの使用実績は飛躍的に増えた。そのため、カード決済金額の上限が格段に上がっていたのである。森下は言った。
「永中は義理堅いところがあるから、踏み倒すようなことはせんかったよ。為替の関係で2500万円にちょっと上乗せして2565万円を請求させたら、すぐに現金で持ってきた」
当時、アメックスではまだポイント制がなかったが、90年代に入って制度が導入されると、秘書たちのカードにもあっという間に100万ポイント近くがたまった。ファーストクラスで成田~欧州間を5往復できるくらいのポイント数だったという。
もとより許が森下に同行したこのときの欧州行きは、単なる休暇ではなくビジネスだ。目的は時計の購入ではなく、絵画の買い付けだった。アメリカやフランスでゴルフ場開発を手掛け、トランプタワーや古城まで購入した森下は、同時に絵画ビジネスに乗り出した。そして、絵画に興味を示していた許を案内したのである。
スイスのジュネーブにはアイチの絵画倉庫があり、森下は欧州の画商との取引を頻繁におこなってきた。森下一行はその画商の案内で展覧会場を回った。許は絵画の購入にも乗り気になった。
「(森下)会長、この絵が気に入りました。会長の口添えで値切ってもらえまへんやろか」
そんな会話を交わした。だが、さすがに秘書のカードで絵画まで買うわけにはいかない。というより、最初から絵画については森下がパリにある現地法人を通じて買い付ける予定でもあった。森下にとって欧州行きは、許永中という売り先を決めるための旅である。バブル紳士と呼ばれる成金たちは80年代末期になると、森下と同じように絵画を買い漁るようになる。その絵画取引の多くは、森下があっせんし、指南してきた。
森功 著