エビデンスとナラティブのあいだ

 しかし、科学的根拠(エビデンス)は非常に大事です。ただ、エビデンスは、必ずしも患者さんの心を動かすような情報ではないことも確かです。

 例えば「瀉血(しゃけつ)」という言葉をご存じでしょうか。これは医学がまだ未発達の時代に、血液を体外に排出することで症状が改善すると信じられ、さかんに行われていた治療法です。

 現在では医学的根拠がないとされ、ごく限定的にしか行われていません。しかし数年前には自分の血液を一旦抜いて、また戻すという瀉血に似た「血液クレンジング」が一部の医療機関で行われ、ニュースになりました。もちろん、根拠のない医療です。

 エビデンスが証明されていないそうした民間療法まがいの治療を、なぜ人々は受けようとするのか。それは、エビデンスばかりを強調しても、実際に苦しんでいる方たちにはなかなか伝わりにくいからです。

 エビデンスベースドメディシン(evidence-based medicine)は、科学的根拠に基づかない医療によって患者が傷つけられる事態を乗り越えるために生まれました。根拠に基づいた医療を行い、リスクをできる限り減らしていこうとする努力にはしかし、少し行き過ぎている部分もあるのかもしれません。そこで登場したのが、ナラティブベースドメディシン(narrative-based medicine、物語に基づく医療)です。

【小児科医ほむほむと学ぶ】根拠のある知識へのアプローチを考える堀向健太(ほりむかい・けんた)
小児科学会専門医・指導医。アレルギー学会専門医・指導医・代議員
1998年 鳥取大学医学部医学科卒業。鳥取大学医学部附属病院・関連病院での勤務を経て、2007年 国立成育医療センター(現国立成育医療研究センター)アレルギー科、2012年から現職。2014年、米国アレルギー臨床免疫学会雑誌に、世界初のアトピー性皮膚炎発症予防研究を発表。医学専門雑誌に年間10~20本寄稿しつつTwitter(フォロワー10万人)、Instagram(2.3万人)、音声メディアVoicy(5000人)などで情報発信。

 このエビデンスとナラティブのバランスは、非常に難しい。今でも書店には「**さえ揉めばがんが治る」というようなことを謳った本がたくさん並んでいます。健康なみなさんは「揉んだって良くなるわけがないだろう」と、笑うかもしれません。

 でも今まさに苦しんでおられる方には、そうしたわかりやすい話のほうが受け入れやすいし、受け入れたくなるのです。単純化された情報は伝わりやすい。我々医者はそのことを意識しながら、エビデンス一辺倒で話すのではなく、ナラティブの要素も組み込み、患者さんが受け入れやすい形で伝えていく必要があるのだと思います。

誤情報を広めないためには大勢の力が必要

 そうした問題意識から、エビデンスとナラティブの話をブログ記事や様々な媒体で発信するようになったのですが、当初は同業者から、「発表は論文ですべきなのではないか」と言われることがよくありました。

 しかしそんな状況も、このところ少し変わってきました。私の発信した情報が役に立ったという方が増えてきて、専門医の学会でも「ブログを読んでいますよ」とお声がけいただくようになったのです。

 SNSで正しい情報を拡散するには、1人でも多くの皆さんの力が必要です。最新科学に基づく正しい情報を持つ人がまだ少数のとき、大多数の人は何が正しいか判然としていません。そこに声の大きな人がやってきて「海外ではこう言われています」と声高に誤った情報を流し始めると、「あ、そうなのか」と信じる人が増えてしまいます。

 でもたとえ最新科学の情報を知識として持つ人は少なくても、「そういう話を聞いたことがある」と思う人が多数派になると、誤情報が持ち込まれても広がりにくくなるのです。

 そうした集団が小さくても日本中にいれば、誤情報が大きく広がらずに済むと考えると、やはり情報の出どころ、出典や根拠を確かめることは重要です。そして出典と根拠に基づいた情報を増やしていくためにも、メディアの方たちには、確かな情報を発信しやすい状況を世の中に作っていただけたらと思います。

情報は展示物のように「置いて」いくべし

 2019年の「SNS医療のカタチ」のイベントで忘れられなかったことがあります。それは、市原先生が笑顔で「堀向先生がされていることは、博物館に展示物を置いていくようなことですね」とおっしゃったことです。それを聞いて僕は、「そうか、1つひとつの情報を展示物として世の中に置いていく、と考えればいいんだな」と、胸のつかえが落ちた気がしました。

 ちなみに先ほどから「正しい知識」とか「正しい情報」と言っていますが、僕は「正しい」という言葉があまり好きではありません。というのも、今「正しい情報」は10年後に正しいかどうかわからないからです。

 僕が医者になった20年前には正しいと思ってやっていた治療で、今では新しいものに置き換わったケースはたくさんある。ですから、正しいというよりは「根拠のある」情報を置くようにしようと考えています。

 1つひとつの情報は小さな種ですから、1つや2つでは意味がありません。僕はすでに1300本以上の論文情報を「置いて」いますが、それらを専門家にも医療者にも学会関係者にも、そして一般の方にも届くような種にしたい。

 これは実際には結構難しいです。どんなに根拠のある記事でも、医療者は「そんなの昔からよく言われている普通のことだ」と思えば読んでくれないし、一般の人には内容が難しすぎると読んでもらえないからです。医療者にも医療者以外にも読んでもらえて、何か得るものがあったと感じてもらえるような記事を書くことが、今の僕の目標です。