唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント9万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は、著者が書き下ろした原稿をお届けする。好評連載のバックナンバーはこちらから。

【外科医が教える】お腹の表面にできる「メドゥーサの頭」のあぶない正体Photo: Adobe Stock

医師国家試験と「ヒポクラテスの誓い」

 毎年2月初旬に、医師国家試験が行われる。医学生たちはこの試験に備え、積み上げれば天井まで届くほど多くの参考書を読み込み、医学の専門家を目指す。

 試験の出題範囲は目眩がするほど広いのだが、その中に「ヒポクラテスの誓い」というテーマがある。古代ギリシャの医師ヒポクラテスが、医師の倫理観や守秘義務などについて説いたものだ。

 ヒポクラテスは「医学の父」とも呼ばれ、今ある「医学」の基礎を作った人物である。

 現在私たちが享受する西洋医学のルーツは、古代ギリシャにある。それゆえ医学に関わる言葉には、ギリシャ神話に関わるものが非常に多い。

 例えば、誰もがよく知る「アキレス腱」は、ギリシャ神話の英雄アキレウスに由来する。

 アキレウスの母テティスは、彼を不死身の体にするため、冥界の川に彼を浸した。ところが、母が掴んでいたアキレウスのかかとは水に浸からず、ここが彼の弱点になったという。かかとにある踵骨腱が「アキレス腱」と呼ばれる所以だ。

モルヒネの語源

 医療用麻薬の一つ「モルヒネ」は、ギリシャ神話に登場する夢の神「モルフェウス」に由来する。夢のように痛みや不安を取り除き、心を穏やかにする作用がイメージされた名称だ。

 モルヒネについては、がんの終末期を連想するためか、嫌悪感を示す人も多い。だが実際には、モルヒネを含む医療用麻薬は、使い手にとって利便性の高い痛み止めである。

 がん治療を行う人たちのQOL(生活の質)を高める重要な手段で、使う時期はもちろん、終末期に限らない。医療用麻薬の進歩は著しく、飲み薬、貼り薬、坐薬など、用途に応じて様々な薬が次々と登場している。

 こうした薬がなかった時代から見れば、「夢のような」薬と言っても過言ではないだろう。

お腹にできる「メドゥーサ」

 肝硬変が進行すると、お腹の皮膚の静脈が膨れ上がり、放射状にコブのような模様を作る。これを「メドゥーサの頭」という。

 教科書にも掲載される正確な医学用語だ。

 メドゥーサはギリシャ神話に登場する女怪で、頭にヘビが生えた恐ろしい容貌を持つ。

 肝硬変で固くなった肝臓には、血液がスムーズに流入しにくいため、血液は慢性的に交通渋滞を起こす。行き場をなくした血液は、他の迂回路を探して心臓へ戻ろうとするため、全身のあちこちの細い血管がコブのように拡張する。

 お腹の皮膚の血管が、メドゥーサの頭に生えたヘビのように特徴的な外観を呈するのは、それが理由だ。

 ちなみに、ヘビは健康の象徴として、医療に関する様々なマークに使われている。

 世界保健機関(WHO)のロゴマークでも有名な「アスクレピオスの杖」には、ヘビが巻き付いているのが特徴だ。アスクレピオスはギリシャ神話に登場する名医で、メドゥーサの血液を使って死者を蘇らせることもできたという。

 その医術は広く認められ、死後は「へびつかい座」として夜空に輝くことになった。

 他にも、ここには書ききれないほど、医学とギリシャ神話は密接につながっている。医学の言葉を新しく知るたび、気の遠くなるほど長い歴史の営みに思いを馳せるのだ。

(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)