唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント10万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊された。坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は、著者が書き下ろした原稿をお届けする。好評連載のバックナンバーはこちらから。(初出:2022年2月10日)
お腹を切り開いたときの様子
何かの病気で手術を受け、お腹の臓器を摘出された人から、
「もともと臓器があった空間はどうなるのか?」
という質問を受けることがよくある。
確かに、お腹の中にぎっしり臓器が詰まっているイメージがあるなら、「ある臓器を取り除くと、そこに空のスペースができる」という発想に行き着くのは当然だ。ところが、お腹の中を見たことのある医療者にとっては、こうした疑問は浮かびにくい。
なぜなら、お腹の中を自由に動ける、とてつもなく長い「腸」の様子を見慣れているからだ。
分かりやすさを優先して、少し極端な例で説明したい。
プールに入った水を大きなバケツですくったとしたら、その「欠けた空間」はどうなるのか、という疑問は、ふつうは浮かばないだろう。その空間には自然と水が移動し、水面が「ならされる」であろうことは容易に想像できるからだ。
お腹の中に起こる変化も、ほぼ同様に考えてよいだろう。お腹の中の空間を「ならす」ように埋めてくれるのは、たいてい「腸」、つまり小腸や大腸である。
シミュレーションしてみよう。
おへそのあたりでお腹を切り開くと、まず長い小腸が目に入る。小腸は5~7メートルもある細長い臓器で、お腹の中で曲がりくねって横たわり、上下左右に動き回れる。私たちが寝転んでいる時は、たいてい小腸はお腹全体に均等に広がっている。だが、立ち上がると小腸全体は下側に、逆立ちをすると上側に移動する。重力によって、小腸はお腹の中を移動するのだ。
こうした臓器の特質は、手術中にも利用される。骨盤の中の手術はたいてい、ベッドを斜めにし、頭側を下げて行う。小腸を全て頭側に移動させ、骨盤内のスペースを確保するためだ。
小腸は自由に動けるとはいえ、お腹の中で長いウナギを飼っているかのように、お腹の壁と独立して存在するわけではない。ちょうど、海の中でゆらゆら揺れるイソギンチャクのように、背中から「生えている」と考えるとよいだろう。
その足の部分は内臓脂肪でできた黄色い壁であり、その中を無数の血管が小腸に向かって走行する。小腸に栄養を送るためである。
カタカナの「ワ」を描くように…
お腹の中を行き来できる、もう一つの「腸」が大腸である。大腸は小腸より少し太く、長さは1.5~2メートルほどある。お腹の右下から、一筆書きでカタカナの「ワ」を描くように走行する。大腸は小腸と異なり、部分的に背中に張り付いて固定され、自由に動けない領域と、自由に動ける領域がある。
それが理由で、“カタカナの「ワ」を描くように”、と言葉で形態を表現できる(小腸はあまりに自由に動けるため形態を言葉で表現できない)。
以上のようなわけで、お腹の臓器を摘出すれば、その空間はおそらく、小腸や大腸の「ある部分」が埋めているだろう。とはいえ、もともと腸が自由に動けることを思えば、姿勢を変えるたび、その空間は「違う部分」に置き換わっている。
プールの水と同様、臓器の摘出によって「欠けた空間」をイメージすること自体が、あまり意味のないことだと言えるかもしれない。
(※本原稿はダイヤモンド・オンラインのための書き下ろしです)