答えのない緩和ケアを提供する苦しみ
たられば:最後に、緩和ケア医療の現在と未来についてお話しできたらと思います。「緩和ケア医」って、どの病院にもいるわけではありませんよね。死にそうになった人全員がお世話になれるものでしょうか。
西:それはさすがに無理ですね。
たられば:つまり緩和ケア医に診ていただけるのは、ラッキーな人だと(笑)。
西:うーん、現状ではそうなるのかな。今はどの領域でも医者不足ですからね。僕は、緩和ケア医はプレイイングマネージャーのような立場に立つのがいいと思っています。
自らが行う治療やケアは困難なものや複雑なケースに絞り、もっと他の医療機関に出向いて、緩和ケアのやり方や思想を伝えながら、その機関の人たちと一緒にシステムを考えていくほうに重点を置くべきなのではないかと。というのも、今全国の病院は、一緒に苦しんでくれる人がいなくて困っているんですよ。
たられば:患者さんが、ですか?
西:いや、現場の看護師さんや緩和ケアを専門としないドクターが、です。緩和ケアは、答えのないことだらけです。現場の人たちは、死にゆく患者さんを診ながら、「精一杯やっているつもりだけど、本当にこれでいいんだろうか」と悩んでいる。そしてその悩みを共有できる人がいないことに苦しみ、その結果、対応が投げやりになったり、「この程度でも仕方がない」という考えに染まったり、現場から去ってしまったりする。
そうした現場に緩和ケアの専門医が入り、「本当に難しい問題だよね、専門の僕でも同じように悩むよ」と言ってくれると、それだけでかれらは救われるんです。
たられば:すごい。
西:緩和ケアが専門の僕だって、もし1人だったら、自分のやっていることが本当に正しいのか、判断がつかないでしょう。でも隣に「先生の言っていることは間違っていないよ、私もこう思うよ」と言ってくれる同僚がいるから、「ああそうか。じゃあ僕もこれでもう少し頑張ってみよう」と思える。
緩和ケアの提供者側を支える仕組みがない限り、全国に緩和ケアを広げていくことはできません。どこかでみんな心が折れてしまいますよ。
たられば:治らない段階の人を見守る緩和ケアは、患者さんや家族に感謝されることも少ない領域でしょうしね……。
西:そうですね。でも、たとえ患者さんや家族に感謝されたとしても、本当にこれで正しかったのか、というわだかまりはやっぱり残ってしまうんです。もちろん、「これが現代の正しい医療です」と患者を納得させることは簡単です。
でも心ある医療者なら、口ではそう言いながらも、自分の中でこれが100パーセントだと信じ切ることは難しい。「自分が担当じゃなければ、この人はもっと苦しまずに済んだのではないか」という思いが拭きれないものなのです。
たられば:どんなに割り算しても、無限に余りが出るような感じなんですね。
西:だからこそ「僕も君と同じだよ、悩むよね。一緒に悩もうよ」と、実感を持って共に苦しんでくれる人の存在に、どれほど救われるか。それが専門家であればなおさらです。