緩和ケアは家族の大切な準備期間

たられば:肺腺がんだった母が、亡くなる1年ほど前から緩和ケア医の先生にお世話になっていたのですが、ものすごく感謝しています。麻酔科医の先生で、麻酔の処方がてら週1回程度来てくださっていました。

 母は、抗がん剤治療には相当苦しみましたが、最期の時間はすごく穏やかでした。1日の大半を眠って過ごしていたので、僕は手を握り、聞いているのかいないのかもわからない母にいろいろな話をしました。緩和ケア医の先生には、そのように家族側が準備を整える、とてもよい時間をいただいたなと感じています。

 あの時間稼ぎが、医療としてどのぐらいの価値があったのかわかりませんが、少なくとも僕にとっては非常にありがたかった。準備することを通して、僕は母の死を受け入れることができた気がします。この場を借りて、緩和ケアの先生方にはお礼を申し上げたいし、緩和ケア医療がもっと充実していくことを願っています。

死は人と社会を動かす

たられば:期せずして『源氏物語』の話に終始してしまいましたが、この機会に読み直して気づいたことがあります。1つは、光源氏が、主要登場人物をめちゃめちゃ見送っていることです。3歳、17歳、21歳、32歳、そして51歳のときに身近な人の死に直面している。

 光源氏という世紀のドン・ファンにいろいろ思うことはあれど、こうして見ると、彼はずいぶんしんどい人生を生きたんだな、と。この世で出会った人とは必ず別れるときが来るという仏語「会者定離」を、繰り返し見せられるのが『源氏物語』なのだと感じました。

 もう1つは、誰かが亡くなるたびに光源氏は変わっていき、物語も進んでいくということ。葬儀が遺された者たちのものであるように、誰かが亡くなることで社会は動くし、関係性は変わる。欠落を埋めるようにしてあらゆるものが動いていく。そういうことが死の肝としてある気がするのですが、どうでしょうか。

西:それを聞いて、ある人のブログを思い出しました。そのブログの筆者には、亡くなりゆく若い友人がいた。その友人がこう言ったと書かれていました。「僕が亡くなっても、この世からいなくなるのではない。僕の存在としての穴が残る。その穴を埋めるために人が動くのだから、僕がこの世に生きた意味はあると思う」と。今、たらればさんがおっしゃったことと近いかもしれません。死によって人が動く。だから死は決して無意味ではない。そういう解釈もできますよね。

たられば:そうですね。実際問題として、家族が亡くなっても遺された側は生きていかなきゃいけないというか、否応なく続いていくわけですしね。大切な人がいなくなった後も、自分が生きていくというのは、なかなか想像できないけれど、確実にあることですからね。今日は貴重なお話、ありがとうございました。

西:ありがとうございました。

たられば(編集者)
古典文学から漫画や政治問題まで、さまざまなツイートで人気を得ており、フォロワー数は20万人を超える。本業は編集者。
西 智弘(にし・ともひろ)
川崎市立井田病院 腫瘍内科 部長。一般社団法人プラスケア代表理事。2005年北海道大学卒。室蘭日鋼記念病院で家庭医療を中心に初期研修後、2007年から川崎市立井田病院で総合内科/緩和ケアを研修。その後2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科を研修。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。また一方で、一般社団法人プラスケアを2017年に立ち上げ代表理事に就任。「暮らしの保健室」「社会的処方研究所」の運営を中心に、地域での活動に取り組む。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。著書に『だから、もう眠らせてほしい(晶文社)』『社会的処方(学芸出版社)』などがある。

(※本原稿は、2022年8月20日、21日に開催されたオンライン配信を元に記事化したものです)