「アタマを使え!」という言葉を聞くことがある。だが、「どんな風にアタマを使えばいいのか?」と聞かれたら答えるのは簡単ではないだろう。そこでお薦めしたいのが『新版[図解]問題解決入門』という書籍。「考える」という行為がどんなものなのか、その全体像がわかると読者から強く支持されるロングセラーだ。本連載では、本書のエッセンスをお伝えしていく。
「乱暴運転」と「事故」、どちらが”問題”なのか?
問題とは、「目標と現状のギャップであり、解決すべき事柄」です。
ですが実際には、何が問題かで判断に迷いがちです。
「乱暴運転して自動車事故を起こした」というケースについて考えてみましょう。
この場合、「乱暴運転」が問題なのか、「事故」が問題なのか。正解はどちらでしょう。
研修会などでこの質問をすると、答えはほぼ半々になります。なかには、どちらも問題であると答えて平然としている人もいます。
よく考えてみますと、「乱暴運転」をしたために「事故」が起きたのですから、「乱暴運転」は「事故」の原因をなしています。
しかし、「乱暴運転」はよくないことであるという観念があるから、つい「乱暴運転は問題である」となってしまうのです。
では、乱暴運転は、いつの場合も「よくないこと」と言えるのでしょうか。
たとえば広野の誰も通っていない一本道を疾走したからといって、とくに問題がない場合もあるでしょうし、自動車教習所で初心者が乱暴に運転したからといって、誰も問題だとは言わないでしょう。
しかし、「自動車事故」のほうは、いかなる場合も問題となります。
なぜならば、それによって価値あるもの、すなわち生命、財産、時間、仕事などが失われるからです。
ここで言う「価値あるもの」というのは、私たちが生きていく上で目標としている事柄にほかなりません。
だから、「事故」の発生によって、これらの目標と現状との間にギャップが生じたと考えてよいのです。
「問題」と「問題点」の違いとは?
ここでのテーマは、問題と問題点との明確な区別にあります。
じつのところ、日常生活において、私たちはこの両者を区別して扱っているわけではありません。
なかには、「いくつかの問題があるなかでいちばん重要な問題が問題点である」とまことしやかに説明するむきもあったり、また逆に、「いくつかある問題点のなかで、最も重要なものが問題となるのである」という意見があったりして、正直よくわからないのです。
これを先の「自動車事故」の例にあてはめて考えてみると、「乱暴運転」は「事故」につながる一つの原因であるのは疑いありません。
しかし、「事故」につながる原因は、ほかにもいろいろ考えられます。
たとえば、道路に凹凸があったとか、雨が降っていたためにスリップしやすいとかの条件も事故につながる原因と考えられます。
多くの場合、複数の原因があって問題が起こるのですが、これらの事柄は、問題さえ起きなければ、とくだん問題点とはみなされないのです。
「乱暴運転」についてはすでに述べましたが、「道路の凹凸」も、「雨降り」もそれだけではどうというものではありません。
そうした状態のところへ「乱暴運転」が重なったために「事故」が発生したと考えられるのです。
ところが、自動車事故が起きてしまった以上は、その原因は何かという究明がなされなければなりません。
そうすると、このケースでは、「道路の凹凸」と「雨降り」と「乱暴運転」が、事故の発生になんらかの影響を与えている原因と考えることができるわけです。
一般に、問題が起きてしまってから、あるいは、問題が何かはっきりしてから、その原因と考えられるものを問題点と呼んでいます。
「原因」ではあるが「問題点」ではないケース
たいていの場合、問題には複数の原因が絡んでいます。
その一つ一つを問題点としてとらえることができますが、冷静に考えてみると、原因であることがわかっても、それがそのまま問題点とならない場合もあります。
自動車事故のケースでは、「雨降り」は事故の原因の一つと考えられるものですが、じつは、問題点とはならないのです。
その理由を次に説明しましょう。
私たちが「これは問題点である」という表現を用いる場合は「だからなんとかしなければいけない」という気持ちがその裏にかくされていると理解してよいでしょう。
問題を解決するということは、その原因をはっきりさせて、それを除去することにほかなりませんが、ときには原因であることがわかっても、取り除くことができない場合があるのです。
自動車事故のケースで考えると、「乱暴運転」と「道路の凹凸」については、これに対して手の打ちようがあります。
運転技術を向上させるなり、安全運行に注意を払うなりすれば、乱暴運転は避けられますし、罰則で禁ずることもできるでしょう。
他方、道路の凹凸については、自分が直接に手を下すことはできませんが、道路を管理する県庁や市役所などに陳情して、道路の修復をやらせることができます。
しかし、スリップの原因となる「雨降り」だけは、気象庁へ苦情を言って止めてもらうわけにはいきません。
手の打ちようがないのです。雨が降ってスリップの恐れがあるからといって運転に注意することはできますが、雨そのものを止めるというわけにはいきません。
つまり「雨降り」は事故の一つの原因ではあるが、問題点にはならないのです。
原因の中に問題点がある
ようやく問題と問題点のちがいがはっきりしたと思います。
結果として起こったことが問題であり、問題の原因の中に問題点があるということです。
問題点というのは、原因の中で手の打てるもの、すなわち、改善可能なものを言うのです。したがって、問題点と改善点とは同じ意味合いになります。
通常は問題一つに対して、問題点は複数存在します。
原因であることはわかっていても、手の打ちようのないものは当然ながら問題点のリストからはずさなければなりません。
円高や円安という為替変動は企業の業績に大きな影響を与えます。ときに業績悪化という問題を引き起こす原因にもなりますが、これを問題点とは言いません。それ自体に対しては、一企業としては手の打ちようがないからです。
円高や円安という一企業としては手の打てない原因をいくら声高に主張してみても、実際的ではありません。
企業が、そうした条件の下で業績を確保するためには、「国内販売を増やす」「コストダウンを図る」「輸出価格を上げる」「海外生産に切り替える」などの手法が考えられますが、これらは為替変動そのものに対する対策ではありません。
問題解決においては、問題点の把握が最も大切です。いろいろ考えられる原因のなかで、「手の打てるもの」と「手の打てないもの」を判別して、手の打てるものだけを問題点として取り上げ、それに対する対策を考える。
この姿勢が実践的な問題解決になるからです。
手を打つ必要があるか? ないか?
実は問題点にはさらにもうひとつの要件があります。それは手を打つ必要があるかどうかです。手を打つことができても、手を打つ必要がなければやはり問題点にはなりません。
たとえば、新しい勤務地が自宅から遠くなり、疲労が激しいという問題をかかえた人が、最寄駅から三つ後戻りして始発駅から乗車し、座って通勤する方法を見つけ出したため、仕事場の近くへ転居せずに済んだというような場合です。
自宅が勤務地から遠いという状況は、疲労という問題の原因であり、転居すれば原因はなくなります。手が打てる原因、すなわち問題点になりえます。ところが、そうする必要がなくなったのですから、問題点にはならないのです。
このように問題点というのは原因の中で手の打てるもので、かつ手を打つ必要のあるものを言います。