例えば、「人からよく見られたいから、本当の自分とは違う自分を装う」というのは、人からよく見られないと、人から嫌われて自分は孤独になり、人生がうまく回らなくなるかも……などの「不安」があったりします。他人に向けて、言葉や態度で自分を本来の姿よりも大きく見せようとしたり、逆に心にもない言葉で「いやいや私なんか……」と、へりくだるふりをして小さく見せておこうとしたり。これが、自分を偽(いつわ)る嘘です。
また、「嫌われたくないから、人に合わせて本当の自分の気持ちを押し殺す」「目立ちたくないから周囲に流されて同意する」ということも少なくありません。
あるいは、「世間のウワサをあたかも確信しているかのように語る」なども、「不安」からくる自分に対する嘘です。
かく言う私自身も、じつは目上の方に対して「私など……」といった種類の言葉が口をついて出てしまうことがあります。自分を大きくも小さくも見せる必要などないところでつい、とりつくろってしまうんですね。
こんな時、私の場合は、ガツンとお不動さまに叱られて、足を机の角にぶつけたりします。
ご神仏と私たちがつながっている場所とは?
可能な限り本音で、自分を偽らず生きることが、自分の心を開き、ご神仏との繋がりを強く感じられるようになります。
弘法大師空海さまのお言葉に「近うして見難きは我が心」というものがあります。
私たちは簡単に「自分の心」と言いますが、わかっているつもりでも、表層の心は暴れ馬のように測りがたく、さらにその奥の心というものは、思ってもみないほど強烈に深いのです。その奥底には宇宙開闢の力と同じ深く大きなものがあり、ご神仏と人は……すべては……そこでつながっています。
ご神仏とのつながりは、外の世界にはありません。自分の心の奥の奥にこそ、ご神仏とつながるパイプがあるのです。
嘘をつく生き方はご神仏を遠ざける
そして、ご神仏は、私たちの誰一人に対しても「この人はダメ」「こいつは嫌い」などとお考えにならず、どんな人をも平等に、救いたい、守りたい、導きたい、と思っておられます。
ところがですね、優しさを持たず、人を批判し、自分を卑下し、嘘をつく生き方を続けていると、ご神仏とのパイプはゴミで詰まったような状態になってしまいます。
そうなると、どんなに願っても、助けを求めても、ご神仏が近づくことができません。
心をそのような状態にしておくのは、自らの心を虐待するようなものと言っても過言ではないのです。
つながりに気づくと外の世界も変わる
自分の心の奥でご神仏とつながっていると、ご神仏はそこに働きかけてくださいます。
その働きかけに気づき、応えていくと、ご神仏はその人の外側の世界も変えてくださいます。
しかし、心を閉ざした状態を続けていると、ご神仏との繋がりを感じられず、迷った挙句に「私こそ神だ。私の教えこそこそ正しい。私だけを信じていれば良いのだ」といった怪しい人の言葉にすがったり、自分以外の第三者の霊感に日常生活の箸の上げ下ろしまでおうかがいを立てて頼ったりするようになってしまうこともあるかもしれません。
そうなると、知らず知らずのうちに、さらに自分の心が閉ざされて、ご神仏の救いが届かなくなってしまうのです。
もちろん、時として外からの力や言葉を参考にする必要がある時もありますが、本来は自分の心の中にあるご神仏とのつながりを探し求めてほしいのです。
以上のような、ご神仏から愛され味方してもらえる人の4つの特徴を手がかりに、ぜひ心の中にある「ご神仏とつながっているパイプ」を大切にして、ご神仏のご加護を存分に感じていただきたいと思います。