社会イノベーション事業に向けて、
業容の入れ替えを進める
井上 社会イノベーションをパーパスとした御社の変革は、実際どのようなプロセスを経て進められてきたのですか。
森田 日立はテクノロジーの会社であり、「テクノロジーに投資すること、テクノロジーが進化することは、人々を幸せにして、世の中をよくすることだ」と信じている会社だと言えます。会社のミッションにも「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」と掲げています。こうした企業活動のベースとなるコーポレートカルチャーは変えたくなかったし、実際変わっていません。
抜本的に変えたのは、テクノロジーの提供の仕方です。先ほども述べたように、これまでは自分たちが持っているテクノロジーを「製品」として提供してきましたが、顧客の課題を解決する「ソリューション」として提供していく方向に大きく転換しました。どんなテクノロジーも社会実装してこそ、少し柔らかい言い方をすれば「ちゃんと使えるように」なってこそ、意味があるし、価値や利益を生み出すことができるからです。
そして、社会イノベーションを提供するために必要なビジネスかどうかを考えながら、フォーカスする分野を決めていきました。それ以外の分野については、グローバルでより成長させられる企業にお任せしたほうがいいだろうと考え、譲渡・売却していきました。電子デバイスや材料系の事業がそれに当たります。そうやって業容を入れ替えていったのです。
井上 変革を推進していく中で、「ここがブレークスルーポイントだった」という出来事があれば、教えてください。
森田 転換点は3つあったと思います。ひとつは、先ほど述べた過去最大の赤字を認識し、「変わらなければならない」という危機感が生まれたときです。その次は、利益率に対する考え方が変わったときです。
2010年に社長になった中西はずっと「利益率を上げていかなければいけない」という話をしていたのですが、会社としては高度経済成長のころの発想からなかなか脱却できず、「黒字なら問題ないでしょ」という考えが根強く残っていました。しかし、5%程度の利益率では、株主に配分したうえで、事業を成長させていくために使える十分な資金を確保できません。それが2013年ごろになって、急にそれぞれの事業部門の方から「利益率5%では話にならない」「10%ぐらいは作りたい」という声が上がるようになったんです。この変化は大きな転機になったと思います。
井上 では、もうひとつの転換点は?
森田 当社はこれまで、各事業部門がそれぞれにがんばって成果を生んで、それを合わせることで会社全体の業績を上げていくという考え方でビジネスをしてきました。そういった状況では、どうしてもサイロ化(それぞれが孤立し、連携が取れていない状態)してしまいます。
社会イノベーション事業で顧客により高いバリューを提供するには、そうしたサイロ状態から脱し、各事業部門が協力し合って顧客にとって最善だと思われるソリューションを提供していくことが不可欠です。そうしなければ、顧客が満足して対価を支払ってくれる価値創生は実現できません。そうした話が社内から自然と出てくるようになったのが昨年ぐらいからです。
取締役会からは変革のスピードが遅いと指摘されることもあるのですが、当社の場合、全体が変わっていくのにはそれなりに時間がかかったというのが実際のところですね。
多様性のある取締役会が
変革を後押しする力に
井上 変革を進めていくには、リーダーシップのあり方も重要な要因になります。日立の中でリーダーシップがどのように変わってきたのか。また、そのリーダーシップが会社にどんな変化をもたらしたのか、教えてください。
森田 現社長の小島啓二がよく言うのが、「社長が交替しながら、10年以上も同じ方向を目指して経営し続ける会社は珍しいのでないか」ということです。実際、そうだと思います。
大規模な赤字の後、川村が方向転換をし、そのあとを継いだ中西が「社会イノベーションというパーパスの下、ファイナンシャルリターンを生み出す会社に変わっていく」という目標設定をしました。次の東原敏昭はABB(スイスの多国籍企業)のパワーグリッド事業や、グローバルロジック(アメリカのデジタル・エンジニアリング・サービス企業)を買収するなどし、目標を実現させ成長をする方向に舵を切りました。そして、「Lumada」の立ち上げに尽力した現社長の小島が、デジタルによって成長を加速させていく取り組みを現在進行形で行っています。このように、この10年強の変革が一連の流れとしてつながっているのです。
井上 そうした継続性のある経営ができている背景には何があるのでしょうか。
森田 やはり取締役会の存在が大きいと思います。
『ビヨンド・デジタル』にも書かれていますが、川村は会長兼社長時代に経営会議で次のような発言をしています。「いまの会議のメンバーを見てみろ。性別は男、年齢は50代から60代で、入社以来日立一筋の人間ばかりだ。皆、同じことを考えるし、同じことを言う。だから間違えるのだ」と。川村は取締役会の多様化を進め、メンバーの半分以上が社外取締役で、約半分が外国人または女性という構成に変えていきました。
彼らが「日立は社会イノベーションでやっていく」という観点から、各事業部門の執行役員たちと本気度の高い真剣な議論をしてくれたのは大きかったですね。また、次の社長を指名するとき、どの人が優秀かという観点ではなく、「次の5年を創れるのは誰か」「会社がやるべきことを実行できるのは誰か」という観点で決めてきたことで、先述したような継続的なリーダーシップが発揮できているんだと思います。
井上 つまり、ガバナンスが機能していた、と。
森田 そうです。そして、ガバナンスが機能した理由は、取締役会を継続的にダイバーシファイ(多様化)してきたおかげだと思います。