「意味のある右往左往」に必要なこととは

 往々にしてあるのは、「言語化する」「解像度が高い」が自分を取り囲む状況に対しての記述ではなく、傍観者的立場や批評的な立場からの記述である場合です。第三者の立場であると「哲学することの優越感」を持つ人や「表現の卓越性に満足する」人がいるのですが、リアルな現実に生きる人はそのようなレベルに陥る余裕がありません。よって使われる言葉は自分がコンテクストをよく知ることについて、感覚的あるいは感情的な次元も含めたものになります。

 さらに、このリアリティーに生きる人の場合、感性的な部分の表現を大切にするため、いろいろと言い換えが利く話し言葉の方が使い勝手がいいです。感情が先行し過ぎない。しかし、十分に感性的な要素を含んでいる――このバランスを探るのが、試行錯誤しながら曖昧な方向を見定めしようとしている人の頭の中の働きであり、行動なのです。書き言葉でコンセプトの輪郭を固定してしまうと、いわば右往左往がしづらいのです。しかし、右往左往しないとあっちの風や温度が、こっちのそれらとどう違うのかが分かりません。構成をはっきりさせ箇条書きにした企画書では、意味のイノベーションで求められているような方向感覚を獲得しようがない、とさえいえます。いきなり四象限のチャートなど、もっての外です。

 よって、パワーポイントで曖昧な路線を探っている現状を表現するなど無謀なことといえます。ワードに文章を書いていくのも、タイミングを待った方がいいです。ちょうど水を入れたバケツを左右に揺らしながら、水がさまざまな形状に変化する一瞬一瞬を頭にたたき込むような感じが、新しい方向を探る姿として適当です。時々、何か単語が思い付くかもしれません。それをそのままメモしておくだけで、文章にはしないのです。それらの書き残しておいた言葉が電子機器や紙の上でつながるのではなく、頭の中でつながって流れ始めたとき、初めてペンを執るのです。言葉をつなげて文章にするということには、それだけの慎重さが求められます。でも、この「ため込んだ言葉」が自分のものとして輝いていきます。「発酵」や「熟成」という言葉が似合います。

 次回は、意味のイノベーションと「倫理」について触れていきます。

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