「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である橋爪大三郎氏(大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授)が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。

【橋爪大三郎・特別講義】日本人が知らない、中国を動かす「儒教の本質」とは?Photo: Adobe Stock

人が人を支配するのは正しい

 中国と言えば、儒教。儒教(儒学)は一神教やヒンドゥー教とまったく違った考え方なので、これは宗教なのか、と思うほどです。でも、宗教だと言ってよい。

 儒教の根底にあるのは、つぎの考え方です。

 [儒教の原理]
 人が人を支配するのは、正しい。

 人が人を支配することを、政治といいます。政治はどの社会にもある。どの社会でも正当化されているだろう。

 でも中国文明では、政治の地位が高い。無条件で正当だと考える。政治がすべてを解決すると考える点に、特徴があります。

 これを、一神教と比較してみましょう。

 一神教の原理。それは、「神が人を支配するのは、正しい」です。これは、無条件で正しい。ならば、人が人を支配するのは、無条件で正しくはない。

 それが正しいのは、「神がそれを命じた場合」に限られる。

 そこで西欧では、地上で神の代理をつとめる教会が、王や貴族など統治者より優位に立っていました。教会が認めないと、王は正しい統治者でない。政教分離です。

 政治は相対化される、ということです。

 中国には、天の考え方があります。天は、神と違って、地上にその代理人がいない。教会がない。中国の統治者(皇帝)は、天命を受けて政治をしている、と主張します。

 その証拠があるかというと、特にない。実力で、皇帝になれてしまうということです。儒教はそれを認めます。つまり、皇帝が、天命を受けて、人を支配するのは正しい。

儒教は、社会秩序をつくり出す

 儒教の役割は、中国に、社会秩序をつくり出すことです。

 社会がばらばらにならないように、まず、政府が必要。政府は、権力を独占し、税金を集め、官僚が統治を行ない、軍隊が平和を維持する。この全体が政治ですが、これが正しい。

 中国全体では、皇帝が1番、皇太子が2番、…と地方の役所の末端まで順番がついていて、上の命令に従う。忠です。

 忠とは、政治的リーダーに従うこと。政治の秩序は、経済よりも文化芸術よりも宗教よりも上です。

 つぎに、社会の末端では、親族の秩序をつくり出します。儒教は、親族の年長者、とくに親に従うことを要求する。孝です。

 忠は官僚だけの義務ですが、孝はすべての中国人の義務。長幼の序は、地域社会に秩序をうみ出し、社会の末端を安定させます。

儒教のメカニズム

 儒教は、誰が誰に従えばいいのかという順序(序列)を配当するメカニズムです。

 政治の領域では、人びとは能力によって抜擢される。皇帝だけは、世襲で決まる。そして、統治階級の人びとは順番がついて、政治秩序が安定します。

 親族の領域では、人びとは年齢によって順番がつく。中国は父系社会なので、父系の親族集団をつくります。それが大きくまとまって、安定した秩序をつくり出す。

 この秩序は永遠の昔から決まっていて、正しいものなので、これに従うのが人間の道である。そう、儒教の経典に書いてあります。

 道徳と宗教と政治が一体化している。それ以外に人間の正しい生き方はない、という考え方です。

 以上をまとめると、

 忠:政治的リーダー(とくに皇帝)に服従する
 孝:親族の年長者(とくに親)に服従する

 孝は、忠よりも絶対的。親に対する服従は無条件なのです。中国の農業は家族経営なので、孝を強調することで、経営基盤が安定する。税収が増え、政府にとってもメリットがあるのです。

現在の中国社会と儒教

 この儒教の考え方が現代化して広がったものが現代の中国共産党です。中央の官僚機構は総書記が1番で、国務院総理が2番で、政治局常務委員のつぎは政治局員で、中央委員で、…と全部順番が決まっています。

 ただし、中国共産党はもう、儒教の古典を読みません。代わりに党の重要文献を読む。そして党の重要文献は、ころころ入れ替わる。はじめは毛沢東選集で、つぎは鄧小平理論で、江沢民や胡錦涛の文献があって、いまは習近平思想です。

 学習会に参加させられ、試験もあります。中国共産党では、指導者が変わると、文献が変わる。状況や政策に合わせて、頭の中身をつぎつぎ上書きして行かないといけない。儒教っぽいスタイルだが儒教ではない、権威主義的な独裁政権ができあがっています。

※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。