「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。

プーチン「大ロシア主義」という妄想の怖さ【知の達人の特別講義に学ぶ】Photo: Adobe Stock

なぜ、こんな戦争が起こったのか

 2022年2月24日、ロシアがウクライナへ軍事侵攻し、ウクライナ戦争が始まりました。

 それから1年以上も戦争が続いています。なぜ、こんな戦争が起こってしまったのか。

 冷戦が終わったので、戦争が起こる可能性が増えてしまったのです。

 冷戦時代には、主要国(核保有国や、その核の傘のもとにある同盟国)の間では、戦争は起こりにくかった。通常戦力による戦争が起こったら、そのまま核戦争に移行する可能性が高い。だから通常戦力による戦争もできない、とどの国も思っていたからです。

 ところが冷戦が終わって、その条件がなくなってしまった。

 現在の世界は、グローバル化が進み、世界はひとつの市場に緊密に結びついていて、それを切り離すのは非常に難しい。どの国も、経済的利害でからまれている。戦争をすればどの国も困る。だから戦争は起こらないだろう、と相変わらずみんな思っていた。

 でも、それは違った。ロシアとウクライナの間には、考え方や利害の決定的な対立があった。そうなると、経済的利害を度外視して、通常戦力での戦争が起こりうるのです。

プーチンとNATOの合理的な考え

 ロシアのプーチン大統領は実際、核を使用するぞ、と何度も脅しています。これは脅しではないぞ、と。アメリカをはじめとする北大西洋条約機構(NATO)加盟国が、ウクライナを支援しないように牽制しているのです。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、NATOに対して、ノー・フライ・ゾーン(飛行禁止区域)をウクライナ上空に設けてほしい、と繰り返し訴えました。NATOはその要求を聞きませんでした(2022年3月)。

 飛行禁止区域を設けるとは、もしもロシア軍がウクライナ空域で作戦行動をとるなら、NATOの航空戦力がそれを撃退する、という意味になります。

 そうなれば、NATOがもろに戦争当事者になってしまいます。劣勢になるとみれば、プーチンはためらいなく戦術核兵器を使う可能性が高い。NATOも戦術核兵器で対応せざるをえなくなる。つまり、第三次世界大戦になってしまうのです。

 NATOは第三次世界大戦だけは避けたいと思っています。そこでウクライナに、ノー・フライ・ゾーンをつくることができない。

 核をちらつかせて戦争を有利に進めようとしているプーチンも、第三次世界大戦を避けようとノー・フライ・ゾーンを設けないNATOも、どちらも相手の出方を計算して合理的に行動しているわけです。

 結果、NATOに加盟していないウクライナは、NATOから半分見捨てられたかたちです。それでも自国を守るには、自力で戦うしかない。武器の援助を受けながら、ウクライナの人びとは命懸けで戦っています。民間人の犠牲も大きい。胸が痛む状況が続いています。

 今後どうなるのかは誰にもわかりません。軍事大国で人口も多いロシアを相手に、ウクライナが満足できる条件で停戦にこぎつけるのは、至難の業です。

プーチンは冷徹なニヒリスト

 プーチンはKGB(カーゲーベー、ソ連国家保安委員会)という秘密警察の出身です。秘密警察は、共産党のいうとおりに行動しますが、共産主義なんかちっとも信じていなかったと思います。

 プーチンは冷徹なニヒリストです。どんな思想も信念も、権力の前では無力である、権力だけが信じるに値する、という透徹した考え方を持っています。

 ロシアの大統領は、ロシアの国益を追求するのが任務です。でもプーチンは、かつてのソ連やロシア帝国のような世界を再建する、という妄想にとらわれている。

 それを支持する人びとも多いのです。そういう大ロシア主義の妄想をふりまいて、地位を保っている。それでウクライナに攻め込んだ。西側からするとアナクロニズムで、とても受け入れがたい考えです。

※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。