何でも外部を巻き込むことがいいとは限らない

 このように1~4は取るに足らない外部者の戯言として無視され、最後の5は、本来は組織にとって大変ありがたいことなのにもかかわらず、積極的に無視されて、成果につながらないのである。

 そもそも、外部者の指摘が的を射ていること自体がまれなのである。圧倒的に多くの指摘が1~4に該当するものであり、正直なところ、ほとんどは本質を外している。現在は何でも社外、第三者を巻き込むことが良しとされる時代ではあるが、よほど注意深い人選をしなければ外部者を入れても役に立たない。いたずらに外部性の必要を強調してみたところで、内部者の暴走を防ぐという最悪の状況を回避できること以外には、あまり良い結果につながらない(もちろん暴走の防止は重要ではある)。

 ちなみに、外部者の意見が有用なのは、次の二つの場合が典型的であろう。

 ひとつは、内部者も外部者も変革の必要性について実際には意見が一致しているが、内部者はさまざまなしがらみのために、その変革を自らの手で実行できない場合に、第三者の意見として外部者に指摘させることで、事態を動かそうとする場合。

 もうひとつは、内部者の知見のない領域について外部者から意見をもらうときである。

 外部者が内部に対して発言する場合、専門領域を超えた洞察力と相手の文脈に沿って考える能力、わかりやすく表現する技術、そして内部の人の気持ちに配慮した温かい心を持つことが必要である。

 一方、内部者には、外部者の発言がほとんどハズレであっても、時に優れた見解が出る可能性を好意的に捉え、注意深く内容を読み取って積極的に生かそうとする意欲と姿勢が必要となる。

 このように外部者、内部者双方の歩み寄りがなければ、外部者を招いて議論する機会など、対外的なアピールまたはアリバイ作りのための「ただの儀式」となってしまう。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)