ブラック労働押し付ける「技能実習制度」を続けたい
よく言われるのは、「移民」をかたくなに拒む閉鎖性だ。五輪や観光に訪れる外国人は諸手を挙げて大歓迎し、「出稼ぎ外国人」も国をあげて拡大しているのに、その外国人が「日本で家族を持って暮らしたい」などと言い出すと途端にトーンダウンする日本人のなんと多いことか。中には、「日本を食い物にする気か」などと盗人扱いをするような人までいる。
そんな日本の排他主義を象徴するのが2021年3月、在留資格を失ったスリランカ女性が出入国在留管理局に長期収容されて亡くなるという痛ましい悲劇だ。抗精神病薬を服用してぐったりしている女性に職員が「ねえ、薬決まってる?」などの暴言を吐いていたことが明らかになっている。
このような「外国人嫌悪」のカルチャーが、国際社会の常識とかけ離れた難民政策の原因になっている、という説は確かに説得力がある。
ただ、筆者は日本政府が難民にやたらと冷たいのは、そういう人権感覚もさることながら、シンプルに日本の「国策」と整合性をつけるということが大きいと思っている。
その国策とは、「日本人が嫌がるようなブラック労働は、外国人労働者にやってもらう」という考えに基づいた技能実習制度だ。
難民認定をゆるくして、多く外国人を難民として迎え入れてしまうと、技能実習制度がガラガラと音を立てて崩壊してしまう。それは日本経済にとっても大打撃だし、自民党の選挙戦略的にもかなりマズい。
というわけで、祖国に送還されたら命の危険があるとか、国際社会があきれているぞ、なんて話は頑なに耳をふさいで、難民認定のハードルを上げ続けているというわけだ。
難民という国際社会が抱える人権問題と、外国人労働者の問題にどんな関係があるのか、と首を傾げる人も多いだろう。しかし、両者は密接に関わっている。というか、根っこはほぼ同じだ。
それをわかっていただくため、順を追って説明していこう。