世界が不思議に思う「なぜ誰も助けないのか」
日本の泥酔サラリーマンについての動画は英語圏でもSNSに投稿されている。さすがに度が過ぎる光景には「なぜ誰も助けないの?」というコメントが付けられ、英語圏の人々の間でも、周囲が助けないことが驚きのポイントとなっていた。
アメリカ人と結婚し欧米での生活体験を持つ木村さん(仮名)は、「欧米人だって無関心ですよ」と言いつつも、こう話してくれた。
「日本の泥酔サラリーマンには、家族やパートナーとのつながりが絶たれた孤独な一面を感じます。私たちの場合、家族が泥酔したら、親や兄弟、あるいはパートナーが放っておかないし、そこまで泥酔状態にはさせないでしょう」
このような “家族の影響力”は中国にも共通していて、「上海で中国人サラリーマンが寄り道せずにさっさと帰宅するのは、奥さんに財布をガッチリと握られているから」(上海在住の経営者)といった発言もあった。
一方、路上の泥酔サラリーマンにもさまざまな理由がある。都内の中小企業に勤務する竹田さん(仮名)は「自宅に自分の居場所はない。家庭の平和のためにも皆が寝静まってから帰った方がいいんで、終電まで飲んで、結局途中で寝落ちしちゃう」とコメントしてくれた。そこからは家庭内の父権失墜や都心の住宅事情などの背景がうかがえる。
明治大学に在籍する中国人の孫さん(仮名)は、昨年中国から来日した。当初抱いていた「誰にでも優しく、礼儀正しい日本人」のイメージは、泥酔サラリーマンを見て以来すっかり崩れてしまったとがっかりする一人だ。
「地下鉄の駅で苦しそうに吐いていたり、電車内の床に寝ていたりしても、誰も手を差し伸べません。中にはこういう人をまたいで車内に乗り込む乗客もいます。私にとっては衝撃的でした。日本人は『他人は他人』という割り切りがとても強いことを知りました」
ちなみに筆者の日本人の友人たちは、泥酔サラリーマンを介護しないのは「『自業自得』であり、『君子危うきに近寄らず』だからだ」と捉えていた。悲しいかな筆者も同じで、近寄ることなく素通りしてしまう一人である。
日本は制度が確立されているから無関心でも生きていける?
フィリピン出身で日本の大手企業に在職するジョアンさん(仮名)にも意見を求めた。彼女はGWで訪日旅行に来た家族の感想を次のように伝えてくれた。
「兄は『日本人の他人への無関心』にちょっと驚いていましたが、『日本は制度が確立されているから、他人の力を借りる必要がないのかも』と解釈していました。私たちフィリピン人の間では、他人のことに自分が巻き込まれてもそれを嫌がらないことが美徳とされていますが、相互の助け合いが必要とされているのは、政府が十分な制度を確立していないからだともいえるんです」
ところで筆者は先日、横浜国際映画祭であるドキュメンタリー映画を見た。日本のシングルマザーを題材にした映画だったが、孤独と苦境に陥る理由を、次のような内容で語っていたのが印象的だった。
「今のネット社会は、何かあってもグーグルに聞く。人は緊急時に助けてくれと訴えることも、また社会の側も声の掛け方がわからない。昭和の時代の人にはコミュニケーション能力があったが、それがない今の世の中は昭和で起きなかった悲劇が起きてしまう…」
ちなみに中国でも近年は「他人に無関心な社会」が始まっているようだ。先日、中国の友人が筆者に見せてくれたのは、「バイクで転倒して動けなくなっても、人も車も素通りで、手を差し伸べる者は誰一人としていない」という動画だった。情に厚いといわれる中国だが、ついにこんな時代になったかと驚かされた。
経済発展を遂げた中国の土台にあったのは国民の団結、社会の団結、家族の団結だったが、そんな中国でも“無関心社会”が徐々に始まりつつあるようだ。