戦前から脈々と続く…「権力」に寄り添いたい記者たち

 朝日新聞社が『歴史の瞬間とジャーナリストたち 朝日新聞にみる20世紀』という社史をつくっている。それは、朝日新聞の記者が日本の近代化にどれだけ役目を果たしたか、といった内容だ。

 そう聞くと、まるで朝日の記者たちが、ジャーナリストとしていかに権力の不正を追及したのか、という記録だと思うかもしれない。だが、本書に登場する「ジャーナリスト」の動きはちょっと違う。

 本を開くと1ページ目に「日露開戦にいち早く布石」とある。一体どんな話かというと、当時の朝日新聞主筆・池辺三山が外務省の参事官から、「元老に会って、対露強攻策で問題解決を図るよう働きかけてほしい」と頼まれるくだりから始まるのだ。

 というのも、元老の山縣有朋が日露交渉に賛成する姿勢をみせたので、開戦論者の外務官僚からすれば何を腑抜けたことを、と憤りを感じた。そこで、朝日記者の言うことならば耳を貸すだろう、と依頼をしたというわけだ。この大役を池辺主筆も見事に果たし、「いまなさねばならぬのは、断じてこれを行うという決断です」と説得、山縣有朋も頭を垂れて涙を流したという。そして、このエピソードの後に、「これ以降、日本の新聞界に近代的エディターとしての主筆が定着する」と誇らしげに締めくくられている。

「ん?なんか思っていたジャーナリストと違うな」と思った人も多いだろう。

 そう、そもそも日本におけるジャーナリストというのは、ペンの力で権力の不正を暴くとか、そういうめんどくさいことをする人たちではない。権力に寄り添い、時によき理解者として言論で応援をして、あわよくば自分も権力と一体化していくという「身内」のような存在なのだ。

 実際、戦前の朝日新聞で副社長だった下村宏は、退社してから貴族院議員になり、戦時中は内閣情報局総裁になって、昭和天皇の玉音放送に関わる。

 今も選挙になると、NHKや朝日新聞をお辞めになった方が立候補をするが、マスコミ記者として権力と距離を縮めて、いよいよ自分自身も政治の世界へ、というスタイルは戦前から確立している。

 つまり、「ジャーナリズムは権力の監視が使命」なんて言っているものの、権力に忖度して、あわよくば自分自身も「権力化」するということを生業としてきた。この性分は、一朝一夕では直らない。だから、令和の今もその性分がだらだらと続いているだけではないか。

 実際、マスコミを見てみるといい。

 ジャニーズ担当の芸能記者は、事務所とズブズブになった方が情報が集まるし、検察担当記者は、検察官と一緒に麻雀卓を囲んだ方が何かと「リーク」のおこぼれがいただける。中央官庁や警察の担当も基本的にやることは同じだ。

 日本の記者は「権力」とどれだけ親密になれるかということを競っている側面がある。親密な方が「デキる記者」という社内評価さえあるほどだ。

 ジャニーズ性加害問題と、米誌「TIME」タイトル修正問題が同じ時期に発生したのは偶然ではない。海外のジャーナリズムとかけ離れた日本の「マスコミのムラ社会」のさまざまな歪みが、いよいよ持ち堪えきれなくなっているのだ。

 また近いうちに、テレビや新聞のどでかいマスコミ不祥事が発覚するのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)