地元重視の姿勢がもたらした企業活動としての成果

 ブルネロが地元ソロメオにもたらしたものは、風景だけでありません。ブルネロ クチネリの従業員の給与は、同分野の全国平均より2割は高くなりました。20年の新型コロナのパンデミック初期においても、同社は雇用を維持し、働く人たちの生活を守ります。また、ブルネロ クチネリにおける地元とは、ソロメオは当然のこと、ウンブリア州全域を指しています。その姿勢の表れとして、ブルネロ クチネリの協力工場の9割は本社のあるソロメオから100キロ圏内にあります。地元の資産を最大限使う方針を貫いているのです。

 この地元重視の姿勢は89年に始まったスローフード運動と無縁ではありません。スローフード運動は、ライフスタイルや農村の意味のイノベーションのための活動ですが、具体的には地産地消の実践です。ブルネロ クチネリの社員食堂では地元で育てた野菜などを使った「マンマの味」の料理を提供しています。私も何回か食べたことがありますが、おいしいです。自分の身体的感覚から正直に出てくる願いが方向を決める動機になっているのが、社食の一例を取っても明らかです。

 ただ、私がここで強調したいのは、スローフード運動は地元の風景や人々の生活を最優先に考える点です。換言すれば、「地元の生活文化」を経済活動の根幹に置くのです。このことをブルネロはよく、古代ギリシャの賢者の言葉「全ては土地から生まれる」にひも付けて語ります。高級ファッションといえば、米国・ニューヨークやフランス・パリにある華やかなシーンを広報活動に使いがちですが、ブルネロ クチネリでは広報写真に田舎の農夫の姿や田園での食卓といったシーンも用います。そして大学での学生たちへの講演では、「ノイズの多い都会ではなく、田舎に自分の生きる道がある」と鼓舞するのです。田舎の意味を再発見しろ!というわけです。

世界的なファッションブランドが田舎の風景の再生に取り組む理由とはブルネロ クチネリでは田舎を積極的にアピールしている
©Brunello Cucinelli

 私はブルネロに何度も会ってきましたが、初めて会ってインタビューしたのが14年でした。彼は「現代の一番の問題は都市の郊外にある。ベッドタウン的な場所には文化がなく、ここに社会的深刻さを生む要因がある」と指摘していました。都会には歴史的な地区があり、田舎には温かみがあってリラックスできる空間という売りがある。その中間にある郊外にはアイデンティティーを感じる要素がなさ過ぎる。そういう枠組みで私は捉えていたのです。意味のイノベーションやソーシャルイノベーションについて本格的に考える前でした。

 実は彼の真意をそのときは十分に理解していなかったのではないか?と後になって気付きました。彼自身の人生の一番嫌な思い出が全て郊外に集まっていたことから、彼は人々の意識がそれとは反対に向くよう注力したのです。田舎を小ばかにする態度を愚かしいことと断じ、汎用化された土地や空間への嫌悪感によって、田園風景を取り戻したことは、まさに意味のイノベーションの本質であり、その進め方は教科書通りといえるでしょう。

 今回、起業家精神が旺盛な1人の人間が自分の生きる土地をどう見つめ、どう変えていったかについて語りました。次回は街づくりについて意味のイノベーションの観点から書いてみます。舞台はミラノに戻ります。

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