洗練が進めば、過度の依存という袋小路に
私自身は、GPT前の状況下では、何の疑いもなく、Aさんのアプローチを是としていた。
たとえば、鳥取県の平井伸治知事は、GPTについて「ツールとして便利なところはぜひ活用されたらいいと思う」としつつ、「いくら端末をたたいたところで、そこから出てくるのは世間で言われているいろんな話や情報の混合体で、せいぜい現在か過去の問題だ」と述べた。このように、私も「端末で情報を集めて事足れり」とする姿勢には問題があると考えていた。
しかしながら、GPTのあまりに大きなポテンシャルを知った今となっては、自分の足で稼いだことによって得た情報のほうにむしろ強いバイアスがかかっており、意思決定の精度が低いことが、近い将来、問題になるだろうと強く感じている。
GPTは無限のアウトプットを即座に生み出す。そのうち、聞く方法がさらに洗練され、巧みに多様なアウトプットを生み出させ、人間は提示された選択肢の中からチョイスするだけという行動文法になるのではないだろうか。
Aさんのように、自分の手や足を使って情報を集めたり、自分の頭で選択肢を考えたりすることなど、非効率かつ精度が低く、誰もしなくなるだろう。そうすると(6)GPTへの過度の依存がものすごいスピードで進む。
よって、今日、Bさんを良しと評価するのは、GPTへの過度の依存への第一歩(=袋小路に入ることを意味する)になってしまうだろう。
では、それに抗して、Aさん的なアプローチを評価し推奨すれば良いのかといわれると、それはそれで、既に決まっている運命に逆らう無駄な努力のように思われる。既にさいは投げられてしまったのだ。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)