2023年3月にこの世を去った坂本龍一さんの遺作ともいえる対談書籍『音楽と生命』。対談相手は、2007年に『生物と無生物のあいだ』で一世を風靡(ふうび)し、第一線で活躍し続けている生物学者・福岡伸一さんです。坂本さんが生み出す音楽には、実は福岡さんが科学の分野で大切にしているコンセプトと共鳴するものがあります。今回は、福岡さんへのインタビューを通して、両者が訴えかけるメッセージに迫りました(一部、敬称略)。(聞き手/ライター 正木伸城)
「教授」と「ハカセ」が
「ロゴス」と「ピュシス」で響き合う
――20年来の親交がある坂本龍一さんと福岡伸一さんが、さまざまな挫折を経験しながら現在に至るまでの道のりを語り合ったのが『音楽と生命』ですね。3月、坂本さんが逝去されました。訃報を聞かれた時、福岡さんはどう思われましたか。
「ああ、旅立たれたのだな……」という感懐が湧きました。また、『音楽と生命』の本にも交えて言うなら、坂本さんが亡くなられたのは3月28日です。本書が発行されたのは3月24日。ほとんど同時期で、坂本さんは原稿のチェックなどを丁寧にされ、最期までこの本を気にかけておられました。『音楽と生命』には遺言の響きがあると感じています。
――本書は、「ロゴス」(人間の考え方や論理、言葉)と「ピュシス」(自然そのもの)の対立に焦点が当たっていますね。
それが本書のテーマです。坂本さんはテクノミュージックで世に出た人ですが、音をデジタルで扱うスタイルは、「ロゴス」の行き方といえます。でも、そこから坂本さんは自然界のノイズをサウンドに取り入れるようになる。それは、音楽に「ピュシス」を取り入れる営みです。彼の人生は、ロゴスからピュシスへ、「論理や言語から自然へ」という航路を進んでいました。
実は、その生き方は私と同型なのです。私も当初は分子生物学の研究をしていて、生命を解体し、遺伝子レベルにまで分解して、そのデジタル信号を解析していた。細胞を殺して分けて分析するそのスタンスも、ロゴスの行き方です。
でも、それでは生命を解明することにはならない。生きているもののみずみずしいありようを総体として、ダイナミックに捉えることが必要だと思い、私は分子生物学をいったん捨てて「動的平衡」というコンセプトに至り、そこから「生命とは何か?」という問いにアプローチしています。これも、「ロゴスからピュシスへ」です。
私は、人間社会がロゴス一辺倒になり、「言葉や論理で理解できるものが世界の全てだ」という態度は、危険だと考えています。ロゴスだけで世界を切り取って見ると、私たちは自分たちが自然=ピュシスの一部であることを忘れてしまう。
――そうした態度が、「ピュシスはロゴスでコントロールできるもの」といった思想を生み、たとえば自然破壊や気候変動につながっていく?
コントロールできるなんて発想は、傲慢(ごうまん)です。
生成AIにはまねできない
人間だけが取り組める領域とは
――いまChatGPTといった生成AIが話題になっていますが、あれもロゴスの世界ですね。
「生成AIによって全てのことが語られる」といった期待が一部でありましたが、それは行き過ぎた考えです。確かに、生成AIはクリエーティブとか人間のオリジナリティーだと思われてきたものを部分的に代替はするでしょう。
とはいえ、AIの動作、つまりネットワーク上にある膨大なデータ・履歴から最適解を選ぶような方法で取り出せるものには、限りがあります。AIは、履歴がないことはできないのです。既存のロゴスで世界を語ることはできても、新しいロゴスで世界を捉え直すことはできない。
――逆に、AIにできなくても人間にならできるということがある?
まさに、「ロゴスからピュシスへ」という航路を進むことです。私と坂本さんの生き方の変遷は、はからずもそうしたメッセージがくみ取れるものになっていました。