生前の寄付と死後の寄付

 日本でも世界でも世俗化が進むにつれて、家族のために大きな資産を残そうと考えるひとは減っている。死んでしまえば、そのあとのことはどうせわからないのだし、それなりの教育を与えたのなら、どのような生き方をするかは子どもの自由だ。だったら、お金は生きているあいだに旅行やイベント、趣味などの楽しみに使い、それでも余ったら社会のために役立てたいと思うのだろう。

 ここまでは正論だが、だからといって「ゼロで死ぬ」ことが誰にとっても最適解ということにはならない。

 超高齢社会では、親の遺産を相続する頃には子どもが50代、60代になっているというのはそのとおりだが、中産階級はいまでも子どもや孫の教育に大きな投資をしているし、20代や30代の子どもに多額の生前贈与をすることがよい結果を生むかどうかは、それぞれの家庭によって異なるだろう。

「ゼロで死ぬ」ためには、年齢とともに貯蓄額を減らしていかなくてはならない。超富裕層は別として、誰も自分の寿命を予想できないのだから、ほとんどのひとにとって、不安なく貯蓄を減らしていくには死の自己決定権(安楽死)の制度が必要になるだろう。

 パーキンスは、生前に寄付などの社会貢献にお金を使う理由を「目の前の生命を救うことができるから」だとする。これは「効果的な利他主義者」の主張でもあり、金融機関などで高給の仕事をしながら、余ったお金をコスパの高い(ランダム化比較試験によって資金が効果的に使われていることが証明された)慈善団体に寄付すべきだとする。

 とはいえ、功利的に考えるならば、いま救える生命と、将来救える生命の価値は等価なはずだ。そのうえ複利の法則によって、寄付を先延ばしにすることで、将来的により大きな資産を慈善活動に投じることができる。

 このように考えれば、「生前の寄付が道徳的にも合理的にも正しい」と断言することはできないのではないだろうか。

ますます不確実になる未来

 パーキンスは平均余命に応じて資産を減らしていくべきだというが、これに違和感を覚えるのは、「平均余命は自分の余命ではない」という理由からだけではない。使わないお金は、じつは「無意味」ではない。それは急速に変わりつつある未来への安心感をもたらしてくれるのだ。

 テクノロジーの驚くべき進歩によって、未来はますます不確実になっている。将来、なにが起きるのかわからなければ、それに対して備えておかなくてはならない。

 生命科学が進歩すれば、これまで座して死を待つしかなかった病気や、認知症のような生活の質を大きく引き下げる障害に対しても、効果的な治療法が発見されるだろう。だがそれは試験段階で、公的保険の対象外なので、治療を受けるには海外の医療機関に自費で入院するしかなく、数百万円、数千万円の費用がかかるかもしれない。将来的にこうした事態に直面する可能性は誰にでもあるし、自分や家族がそんな病気になったときは、いくらお金がかかっても治療してほしいと思うだろう。

 未来が不確実になればなるほど、理論的には、「無意味」なお金はますます大きな意味をもつようになるのだ。

 イギリスのコンサルタント、ピーター・スコット=モーガンは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたとき、自分の身体をサイボーグ化することで生命を維持し、アイトラッキング(眼球の動きの追跡)をAI(人工知能)で支援することで意思の疎通を行ない、最終的には自分をAIに置き換えることで“永遠の生命”を手に入れようとした。これは荒唐無稽な話ではなく、脳のネットワークをコンピュータにそのままアップロードする「全脳エミュレーション」の開発が脳科学の分野で進められている。

 もちろん私には、こうしたテクノロジーが実現可能かどうかはわからない。最先端の科学者や専門家であっても、どの分野でどんなイノベーションが起き、それが組み合わされてどれほど“とてつもないこと”が可能になるのかは予測できないだろう。

 テクノロジーの爆発的な進歩と融合によって、想像を超えることが起きる可能性がますます高まっている。だとすればそのときのために、できるだけ多くの金融資産を確保しておくというのは理にかなっている。

 こうした状況を考えれば、「ゼロで死ぬ」よりも、「死んだあとにゼロにする(相続財産を寄付する)」という方が、より合理的ではないだろうか。

 もちろんだからといって、パーキンスや効果的な利他主義者の考え方が間違っているということではない。どちらを選ぶかは、一人ひとりが自らの価値観や人生観に基づいて決めればいいだろう。

※この記事は、書籍『シンプルで合理的な人生設計』の一部を抜粋・編集して公開しています。

橘玲(たちばな・あきら)
作家
2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)。毎週木曜日にメルマガ「世の中の仕組みと人生のデザイン」を配信。