歴史小説の主人公は、過去の歴史を案内してくれる水先案内人のようなもの。面白い・好きな案内人を見つけられれば、歴史の世界にどっぷりつかり、そこから人生に必要なさまざまなものを吸収できる。水先案内人が魅力的かどうかは、歴史小説家の腕次第。つまり、自分にあった作家の作品を読むことが、歴史から教養を身につける最良の手段といえる。
直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、歴史小説マニアの視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
大学を卒業してダンス・インストラクターへ
【前回】からの続き とはいえ、すぐに小説を書き始めたというわけではありません。熱心な読者のまま高校・大学を卒業した私は、ダンス・インストラクターの道を歩み始めました。
ダンスの仕事に就いたのは、父の影響です。小学校の教師をしていた父は、あるとき教師を辞めてダンススクールを主宰し、ダンスを通じて青少年をサポートする活動を始めました。
ちょうど私が歴史小説に没頭している頃のことです。父の説得を受け、そこでダンスを教えるようになりました。
小説家になることを夢見つつ
子どもたちと向き合う
本音をいうとダンスは好きではなかったのですが、子どもたちと向き合う時間は好きでした。
「小説家になりたい」という夢は持ち続けていましたし、子どもたちにその夢を語ったこともあります。
けれども、なんとなく小説家になるのは年をとってからでもいいと考えていました。
転機となった30歳
結局、1行も書かないまま、気がつけば20代が終わろうとしていました。30歳になった年の秋、転機が訪れます。
その日、家出をした教え子を迎えに行った私は、クルマで連れて帰る道中、彼女に「将来、なんかしたいことはないんか?」と問いかけました。
返ってきたのは「あるけど、別にいい」とそっけない答え。よくよく聞くと、専門学校で学びたいことがあるけれど、お金もかかるし家族に迷惑をかけたくないと考えているらしいことがわかりました。
教え子にかけた正論への反論
自暴自棄に振る舞う彼女を、もっともらしい言葉で説得します。
「奨学金だってあるやろ」「簡単に夢を諦めるなよ」
私の語りかけがよほど鬱陶しかったのでしょう。彼女は私をにらみつけると、こう冷たく言い放ちました。
心を射抜かれた教え子のひと言
「翔吾君だって夢を諦めてるくせに!」
そのひと言には衝撃を受けました。まったくその通りだったからです。【次回へ続く】
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。