旧満洲の黒竜江省の省都ハルビンの東に隣接する都市が、鉄道交通の要衝である牡丹江である。その牡丹江市の北東約100キロメートルに、ソ連と国境を接する鶏西市の中心部がある。

 現在の鶏西市鶏東県に哈達河と呼ばれる地区があり(中国では市の中に県が属している)、かつてそこには、1300人の満洲開拓団員が入植していた。哈達河からソ連国境まではわずか40キロメートルあまりである。

 当時、成年男子も徴兵されたため、ソ連侵攻時に残されていたのは、女性、子ども、高齢者がほとんどであった。8月9日のソ連の侵攻を受けて、哈達河開拓団員は避難したものの、難航をきわめた。

 8月12日、哈達河から西へ約50キロメートルに位置する鶏西市の麻山地区まで移動した開拓団員400人あまりは、これ以上の逃避行は困難であると判断し、ここで集団自決した。これが麻山事件である。

四面楚歌の絶望的状況で
開拓団は娘をソ連兵にあてがった

 国から見捨てられた満洲開拓団の一部は、前述したように侵攻したソ連軍や暴徒化した中国人に襲われ、集団自決に追い込まれた。このような悲劇に加え、あまり公にされなかった事実もある。「ソ連兵へ差し出された満洲開拓団の娘たち」もいたのである。

 2017年8月、NHKはETV特集『告白―満蒙開拓団の女たち』を放送した。同番組の案内には、次のように紹介されている。

 終戦後の旧満州。命を守るため、ソ連兵の接待を若い女性にさせた開拓団があった。戦後長く語られなかった、開拓団の女性たちの告白。その歴史に向き合う人々を見つめる。

 戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。

 その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。

 戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。

 さらに2021年、第19回開高健ノンフィクション賞に選定されたのは、平井美帆『ソ連兵へ差し出された娘たち』であった。

 前述のNHKテレビの特集番組や書籍は、満洲開拓団員がいかにして悲劇的な状況に追い込まれていったのかを詳細に伝えている。このような史実に目を背けることなく、きちんと伝えていかなければならないだろう。

方正県に避難した開拓団1万5000人のうち
5000人が死に、5000人が取り残された

 ハルビンの中心から東へ約170キロメートルのところにハルビン市方正県がある。満洲国時代、方正県には4つの満洲開拓団があり、456戸、2114人が入植していた。