小選挙区となってから、政治家はひ弱になりました。少しルックスがよく、人当たりがいい方が一人区では当選しやすくなります。かつては地方議員から国会へと羽ばたく議員が大勢いましたが、今はなるべく無難な二世義員を立て、選挙で票さえ獲得できればいいと自民党は考えているようです。政治家としての力量など、候補者選びに関係ないのです。

 だからこそ、世襲制反対なら野党は団結できます。ほとんどの議員が二世ではないし、二世議員がいたとしても地盤も強くない場合が多いので、選挙区の鞍替えをさせても、そう弱くはなりません。

自分も「二世議員」に
なるところだった

 私が二世議員を嫌うのは個人的事情もあります。実は、私も二世議員になる可能性がありました。私の父は京都市議を40年も勤めた、いわばボスでした。小学校しか出ていないのに、勉強して活字工から京都の地元紙の論説委員長まで勤め、そこから新市長を応援するために何人かの新聞記者が市議会議員に立候補するという経緯で、議員になりました。

 年齢的にも国会議員になる機会がないままでしたが、それでも私は父から何度か「政治家になる気はないか?」と聞かれたことがあります。「地方議員からでは、国会で力を発揮するには時間がかかる。今なら、自分の力で直接国会議員選挙に出ることも考えられるし、そのために学生時代から修業もできる」というのです。

 私の方は青二才で、「民主主義は世襲じゃないはず」と言い切り、父もジャーナリスト出身だから「それでこそ俺の息子」と喜んでくれたこともありました。多分、その気になれば、一度くらいは国会議員になれたかもしれません。

 しかし、正直、当時の議員の子どもから見ると、政治家という仕事は魅力のあるものではありませんでした。毎日が陳情の嵐。建設事業の落札のお願いから、教員の人事異動願いなどで走り回る父を見て、プライベートのない政治家などなりたいと思わなかったというのが、正直なところでした。

 父親だけではないのです。留守番の家族も同様に多忙です。「汲み取りがこない」(当時は京都市の下水は完備されていなかった)「夜中に子どもが熱を出した」などと、市議のところには支持者といわれる人からしょっちゅう電話がきます。

 両親が不在のとき、対応するのは家族の役目です。両親がいなくても対応してくれる「医者や市役所の職員の電話番号」が自宅に張り出してあり、中学生の私が電話をかけるという毎日でした。公的機関が休んでいる大晦日や正月などは、急病、急患、汲み取り、ゴミ収集といった火急のクレームに追われて、休むヒマもありません。