さらにその中で重要と判断された問題については、タン氏が共同会議を招集し、ステークホルダー(利害関係者)が参加して、関連する政府部門と実行可能な改善案について議論することとなっています。そして、その議論は必ず全容を国民に公開しなければなりません。これだけ透明性を保てば、代議制民主主義制度の中で埋もれてしまう少数者の意見も尊重されることは、間違いないでしょう。
与野党の駆け引きで提出法案が消えたり増えたりする現状とは違い、これは一部の人間だけとはいえ、国民が本気で提案した法案である上に、国会対策で消してしまうことはできません。
たとえば、中国に抵抗した香港の女子大生、周庭(アグネス・チョウ)さんを日本に招き、国立大学の講師にしようという提案が国民から出たとしたら、日本人は相当熱狂するでしょう。中国との関係性もあり、日本政府は香港問題に及び腰ですが、香港の民主主義弾圧や若者たちの抵抗を応援したいと思っている国民は大勢いるはずです。
政治家も、いい加減な答弁で逃げるわけにはいきません。大学講師に招くだけなら亡命ではないし、中国政府は当然妨害するでしょうから、反中などと口だけで叫んでみせている右翼政治家の本気度もこれでわかります。
「そんな夢みたいなこと、日本で実現するかよ」と、若者たちはいうでしょう。しかしだからこそ、この程度のことは実現すべきではないでしょうか。私はもう68歳です。大学で4年間教えてきて、若者たちが政治に何の期待もしていないことが、よくわかりました。だからこそ、高齢者である私たちが道だけは残しておかないといけないと思います。
デモクラシーの行き詰まりを
救うかもしれない「国民提案制度」
ちょっと偉そうなことをいわせてもらうと、「国民提案制度」は現代のデモクラシーの行き詰まりを救う方法とも考えられます。
本来、デモクラシーとは代議制民主主義を意味していました。いや、本当は代議制民主制度と訳すべきだったのです。デモクラシーを民主主義と翻訳した時点で、日本人は選挙や国会の意味を「正義」を決める制度と間違えてしまいました。デモクラシーはあくまでも利益の調整であり、数が多い方が税金を使わせてもらうといった制度にすぎません。
西欧の思想は、「実は正義など地上にない。いや、人それぞれに正義は存在し、全員が正義だと思うような正義などない」というのが出発点でした。たとえば、カール・シュミット著『議会主義と現代の大衆民主主義との対立』のこんな言葉は、今のSNS政治の登場を予見したものだといえます。