学校はただ親の子育ての肩代わりをしてくれるだけのところではありませんでした。そこでは親が教えてあげられないようなことを教えて身につけさせてくれたり、家庭だけでは経験させてもらえないようなことをさせてもらえたりしました。知恵と知識がつまった童話や絵本、昔の人のことばを集めたもの、この世界にあるすばらしいものに触れる機会が、組織的に与えられるようになったのです。

 狩猟採集社会でも、学ばなければならない生きるために必要な知識はたくさんあります。それは主として自分を取り巻く自然環境についての知識でした。自然環境についての知識は、自然そのものが先生でした、というのはやや比喩的な言い方で、自然を相手に自らの経験で学んだり、年上の子どもや大人の仕事ぶりを見て学ぶ形で成されていました。

 しかしそれが近代になってからは、人間自身が生み出した文化的知識にとって代わられるようになりました。それとともに学校という特別な場をつくるようになりました。それは生きるための知識が、生活の活動の中に埋め込まれたものというよりも、言葉やマニュアルで表現されるものになり、体系化されたものとして表現できるからです。逆に言えば、日常生活とはいったん切り離された、見ただけではどんな知識を使っているかわからない、だから見様見真似では学びにくく、誰かから説明や指導をしてもらわないと習得の困難な知識によって、社会が出来上がってきてしまいました。使いこなせれば便利だがどう使ったらいいかわかりにくい複雑な機械の仕組み、その機械を使いこなすための作業手順、それが生み出す生産物をお金に換える仕組み、それらが社会の中で動き回るときのさまざまなお作法、どれも狩猟採集社会や、地域に根差した農業牧畜の社会にはなかったものでした。

 だから学校が必要になったのです。これは歴史的必然です。かくしていまの私たちも、子どものときから家を離れ、学校で過ごすことが求められるようになったというわけです。