バズって収益化できればなんでもいい?
また、Twitterはたびたび仕様を変えているが、自分のフォロワー以外のタイムラインが「おすすめ」として表示されるようになった。この結果、自分と正反対の意見を目にする機会が増えた。エコーチェンバー化(自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、自分と似た意見ばかりのネット空間になること)を抑制するという表面的な理由もあったが、これにはユーザー間の対立をあおることでエンゲージメントを伸ばすというTwitter運営の意図もあったのではないかと、いぶかしんでしまう。
この頃から、ユーザー同士の分断や対立は増し、いくつもの炎上や集団通報での違法凍結、標的とされたアカウントへの監視や特定、誹謗(ひぼう)中傷が横行し、訴訟に発展するケースも頻発している。「論破」という短絡的な概念が持てはやされて、「対立」というよりも社会的な弱者や声を上げるマイノリティーを集団で打ちのめしていく事案が多くなったように思う。
さらにYouTuberやTikTokerの文脈から「バズって収益化できればなんでもいい」という露悪的な価値観も合流し、「治安」を悪化させた。弱者をたたくことがコンテンツになるという恐ろしい現実がある。
また、デマや誹謗中傷に対して裁判を起こし勝訴したとしても、誹謗中傷をした側に多額なカンパが集まる構造も一部でできていて、彼らは非人道的な活動で私腹を肥やし続けている。