関東大震災写真はイメージです Photo:PIXTA

地震、噴火、山火事、津波、暴風雨、隕石衝突など、天変地異が起こっただけでは「災害」にはならない。人間が住む社会がそこにあるからこそ起きる点で、災害とは社会的な出来事だ。しかも天変地異で興奮した群衆は、デマや風評をまきちらして弱者をさらに追い込もうとする。日本人は我が身に降りかかったこうした悲劇を、避けられなかった運命による悲運に転換して乗り越えようとするが、その態度はもう、令和の世では、改めるべきではないだろうか。本稿は、畑中章宏『関東大震災 その100年の呪縛』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。

災害の打撃からすぐ立ち直るが
何の教訓も得ないのが日本人

 社会学者の清水幾太郎(1907〜1988)は、1755年に発生したリスボン地震がヨーロッパ全土に大きな社会的・思想的変動をもたらしたのにたいして、関東大震災はその後の日本社会にはほとんど何のインパクトも与えなかったと「日本人の自然観――関東大震災」という文章で指摘する。

 清水のこの文章は、太平洋戦争開始以前、1937年(昭和12)に発表されたものだが、清水がインパクトを与えなかったというのは、もちろん反語であり、関東大震災はさまざまな問題を提起したにもかかわらず、日本人はそれを捉えそこねたという意味である。

 大震災の惨禍は瞬く間に忘れさられ、あるいは忘れるように仕向けられた。惨禍の記憶を覆いかくしたのは、郷土愛、形を変えた伝統主義、素朴な自然讃美などである。災害を〈自然現象〉の次元にとどめておこうとする態度であり、〈社会現象〉として捉えようとしない姿勢が、そうしたイデオロギーの根底にある。

 ここでは、関東大震災をターニングポイントにしえなかった、日本人の持続的な災害観、自然観をまず見ていくことにする。

 100年前の震災のときにも、いまから12年前の地震津波のときにも、〈天譴論(てんけいろん)〉を唱えるものがいた。天譴論は本来、「天のとがめ。天帝が、ふとどきな者にくだすとがめ」という意味だが、近現代日本の大災害では、短絡的に、腐敗・堕落した世間・世相にたいする天罰といった意味で用いられている。

 天譴論はふたつの面で、明らかに間違っている。ひとつは、天罰が腐敗・堕落した人にたいして下らないことである。世間・世相が腐敗・堕落しているなら、それを最も体現しているものに天罰が下るはずなのに、災害はそうした状態から遠い、無縁な人間に襲いかかるのだ。柳田国男が関東大震災の際に、「本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで」「平生から放縦な生活」をなしえなかった人びとが、なぜ制裁を受けなければいけないのかと憤ったのは、天譴論にたいする正しい認識だ。

 天譴論が誤っていると考えるもうひとつの理由は、災害を〈自然現象〉だと捉えている点にある。災害は、気象・大気環境学、地質・鉱物学、防災・砂防学、固体地球・地震学など、地球科学の領域だけで収まるものではない。自然に起因するにしても、災害はそれにともなう〈事件〉、災害そのもの以外によって生存をおびやかすような事態を含めて捉える必要がある。そしてそうした〈事件〉は、「天」ではなく「人間」の手によって引きおこされるのだ。