大ヒットした新海誠映画は
日本人の伝統的な自然観がベース

 廣井が援用するところによると、社会心理学者の南博は日本人特有の心理のひとつに〈精神主義〉があり、その具体的な形態として次の3つを挙げられるという。

 第1は、人間の力を超えると思われる場合に、精神力が働いて、思いがけない超人的なことができるという信念。第2は、精神の働きで物質的な条件が変えられるという考えかた。第3は、物質のなかに精神がこもっているとみなす「物神性」の観念である。

 廣井はこのうち、第1と第2の信念が、〈精神論〉と強くかかわっているという。物質にたいする精神の優位を核心にもつこうした精神主義は、災害についても明確に現われていると廣井は指摘するのだ。

 たとえば、関東大震災後の帝都復興の過程でも、〈精神復興〉というスローガンが力説されていた。ここでいう〈精神復興〉とは、帝都を真に復興するには、道路の拡張や橋の改修といった〈物質的復興〉だけでは不十分で、市民ひとりひとりが私利私欲を捨て、勤勉かつ品行方正に生きることが必要だといった信念である。

 具体的にはどういうことなのか。廣井によると〈精神論〉の特徴は、物質にたいする精神の優位を強調することで、ただひたすら神仏に祈る行為は〈精神論〉の極致とされる。

 関東大震災においては、国民の精神的自覚を促す〈精神復興〉として表現され、都市施設の復興や経済復興と並んで〈精神復興〉の必要を説くより、〈精神復興〉こそが、復興の根本だという論調が目立った。このような態度は結果として、災害後の防災対策の軽視を生みだすことにつながっていく。

 関東大震災にたいする反省を記した学者や文化人の文章には、防火体制の無策を指摘したり、東京を災害に強い都市にすべきだと意見したりするものもみられた。ただ庶民にとっては、そうした意見より〈精神復興〉のスローガンのほうがアピールしたようで、幹線道路や環状線の建設、耐火・耐震の建物よりももてはやされたのだ。

 廣井は、日本人の〈自然観〉の特徴は、自然と人間の関係をきわめて密接なものとみなすことにあるという。しかし、日本人における自然と人間の関係はきわめて一方的で、「偉大な自然」と「卑小な人間」という対比が、そこには存在している。自然を絶対化し、人間の無力を自覚する態度は、自然を対象化して、征服しようとする態度ではなく、自然と一体になり、服従しようとする態度で、こうした日本人の自然観はその災害観と深くかかわっている。