〈天譴論〉や〈精神論〉にも、自然の破壊力への恐れや、自然の偉大さにたいする人間の無力感が色濃く反映されている。災害を〈自然現象〉として捉える意識は、東日本大震災を動機としたアニメ映画にも引きつがれている。

 新海誠監督の『すずめの戸締まり』は記録的な大ヒットとなったが、自然の暴力性に人間は無力であるといった日本人の伝統的な自然観を背景にしてつくられているのだ。新海作品では『君の名は。』(2016年)の隕石衝突、『天気の子』(2019年)の降りやまない雨といった宇宙物理学や気象学の領域に属する事態を、非科学的かつ素朴な手段によって乗り越えようとすることが物語の推進力になっているのである。

 災害が人為的要因に大きく影響されるということは、これまでもしばしば唱えられてはいる。しかし、そうした場面では、被災をまぬかれたことを「美談」や「奇跡」とし、被災してしまったことを「悲劇」と捉える際に、人為的な物語が描かれるのである。

 じつはこれも〈天譴論〉と大差がなく、偶然や運命に結果を委ねてしまっている場合が少なくないのだ。地震以外の〈自然現象〉は、現代科学でほとんどが予測可能であり、被害を大きくしたり、気象そのものとは直接的に関係しない被害がもたらされたりするのは、人間の行動によってであり、そこには〈天〉や〈自然〉が入りこむ余地はないのである。

関東大震災関東大震災 その100年の呪縛』(幻冬舎新書)
畑中章宏 著

 改めて関東大震災を例にするなら、流言蜚語は〈自然現象〉とは全く違うところから生じるものだし、デマを鵜吞みにしたり、風聞に便乗して暴力的になったりするのは人間業でしかない。

 震災の翌年、関東大震災における「震災美談」と「復興美談」を震災記念事業として、一般市民から募集し、当選作は、『震災記念 十一時五十八分』に掲載された。その第三編は「精神復興の叫び」というタイトルが付けられ、収録された12の論文のほとんどが、施設や経済の復興より精神の復興を優先すべきだと説いている。

 近年の災害でも「美談」はもてはやされる。そのいっぽうで、肉体的暴力にまで至らなくても、デマや便乗によって、精神的暴力をふるおうとする人が、インターネットの普及にともなって、確実に増えている。

 この場合の暴力は差別的言動や、風聞の流布、あるいは被災者をおとしめるようなふるまいだ。災害においては、じつはこうした二次的加害が意外なくらい多い。混乱に乗じて承認欲求を満たそうとするのだろうが、二次的被害に遭うのは多くの場合、日常的弱者であることが少なくないのだ。