廣井脩の『災害と日本人』によると、日本人の災害観には〈天譴論〉〈運命論〉〈精神論〉の3つのタイプがあるという。

〈運命論〉は、災害による人間の生死を、定められた運命と考える災害観で、災害にたいする〈運命論〉には、災害の悲劇性を減殺できる「心理的効用」があるとする。関東大震災で生き残った人びとは、死者の悲運に嘆息し、ひるがえって自らの幸運を感謝した。

 また災害はつねに、家族や財産を一瞬にして奪いさっていく。こうした被災者にとって極限状況、そこに生まれる絶望・不幸の感情を、〈運命論〉は緩和してくれるのだ。「泣きごとを繰りかえしてもしかたがない、これは逃れられない運命なのだ」「世間にはもっとひどい目に遭って死んでしまった人さえ多いではないか」……。〈運命論〉は極限状況を耐えしのぶ作用を果たすのである。

 こうした心のありようは加えて、災害からの回復を促進する機能を果たす。災害の悲劇を運命だと割り切ることによって、生活の再建に迅速に進んでいくことができる。

 日本人が災害の打撃からきわめて早く回復するというのは、しばしば指摘されてきたことだと廣井は指摘する。関東大震災では外国人の被災者も多かったが、彼らのなかにも、震災後に日本人の被災者が、意外に平然としていることに驚きを感じたものが少なくなかったという。このように〈運命論〉には、災害の悲劇性を減殺するという心理的効用があるのだ。〈運命論〉は被災者に、災害にたいする「諦念」や「忘却癖」を生みだしていく。

 諦念とは、人間の手では災害はどうにもならないという感情であり、地震や台風のような自然の破壊力にたいしてただ耐えしのび、諦めるほかないという心理である。忘却癖とは、災害の経験を将来の防災に生かすことなく、忘れさってしまう態度をいう。災害の〈当事者〉でも、災害を過去の不運な出来事だと捉えて、悲惨な経験を生かすことなく忘れさってしまうのである。

〈運命論〉がもつ、被災者の心理的打撃や災害の悲劇性を緩和するという効用と、災害にたいする諦念や忘却癖を生みだす作用は互いに関連し、災害をあくまでも〈自然現象〉の枠内におくことにより、人間の手によって起こされた事件さえ「水に流して」しまうのだ。

 日本人の災害観における〈精神論〉とは、防災対策を講じて災害を克服するのではなく、人間の精神や心構えを強調する態度であると廣井は定義する。自然を征服したり、コントロールしたりすることによって災害に対応するのではなく、心の持ちようや内面的努力を強調することで災害に対処していこうとするのである。